墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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茨城県三の丸庁舎 水戸駅

前回のつづき。

配水塔を見たあとに弘道館(国指定特別史跡・重要文化財)へ行こうと思ったが、すでに日没が近づいていたので駅へ戻ることとした。

水戸城の空堀がきれいに残っていた。

 

掘の向こう側には重厚な近代建築があった。

 

旧茨城県庁舎 1930年(昭和5年)竣工し、1999年まで本庁舎として使われた。

1954年に4階部分が増築されたが、2011年3月の被災後の耐震工事で当初の3階建てに復元された。

設計者は置塩章(おしお あきら:1881~1968)

以下は置塩章 - Wikipediaから。

1910年(明治43年)に東京帝国大学工科大学造家学科(建築学科)を卒業、陸軍技師として陸軍省に入る。第四師団(大阪市)経理部に配属となり、第四師団管轄下の営繕全てにたずさわる。その後、1916年(大正5年)に大阪砲兵工廠の勤務となる。1920年(大正9年)都市計画法施行に伴い、技師増強のため兵庫県庁に移り、都市計画地方委員会技師、内務部営繕課長等を歴任。兵庫県徽章のデザインを行った他、県会議事堂、警察署、学校など多くの施設の設計を指導した。1921年(大正10年)に欧米各国を視察した。

1928年(昭和3年)に兵庫県庁を依願退職し、置塩章建築事務所を開設、神戸を拠点に、全国からの設計依頼に応えた。また、神戸高等工業学校(現・神戸大学工学部)の講師も務めた。

 

スクラッチタイルが残照に映えていた。

 

中に入る時間がなかったので外観だけ。壁面レンガタイルだけでなく、柱や軒の模様も凝っていた。

次の機会に中に入ってみたい。

 

こちらの方のブログに改築前の4階建ての姿と、階段室など内部の様子が紹介されている。

思いつくまま 第340回・旧茨城県庁舎(茨城県三の丸庁舎)

 

この建物は映画やドラマの撮影場所としても積極的に使われている。

http://www.ibaraki-fc.jp/location/detail.php?id=174&C=5&P=24

 

さきほどの置塩章 - Wikipediaには非常に興味深いエピソードも記されていた。

彼は、大の歴史好きであった。陸軍第四師団技師時代の1913年(大正2年)1月、陸軍被服廠倉庫の建設時に、地下約9尺(約2.7メートル)の地点に古瓦包含層を発見し、そこから蓮華文・重圏文の古瓦を掘り出し、そのあたりに難波宮が必ずあると確信する。その当時、「このまま70の年までは建築家でとおし、そのあと考古学を勉強して、きっとこの瓦にものをいわせてみせる」と思ったそうである。そして、後に難波宮大極殿跡を発見することになる山根徳太郎(当時、大阪市民博物館に在籍)にそれらの古瓦を見せたことが、後の難波宮の大発見につながった。

関西には、旧大阪砲兵工廠化学分析場(1919年・大正8年、大阪府大阪市中央区)や旧尼崎警察署(1926年・大正15年)、兵庫県尼崎市)など大正期に建てられたものも現存しているので、機会があれば訪ねたい。

 

旧庁舎正面の道から南側の空堀。

 

斜面に無数のイチョウの葉が積もっていた。

 

道沿いにあった説明板。

 

そのまま坂を降りて駅へ。夕日がまだ少し残っていた。

 

水戸駅のホームで。東京方面の特急のホームは鹿島臨海鉄道大洗線と共用。大洗駅まで15分、鹿島神宮までは80分ほど。一両編成の気動車が停まっていた。

 

ホームに電車が埋まってる?

上はキヨスクの背面。特急ひたちに乗ったら次がもう上野駅、70分ほどの旅だった。