前回のつづき。
愛宕塚古墳を堪能させていただいて、茨城大学へ向う途中。
下は愛宕神社鳥居からの道を振り返ったところ。左の木立が古墳。
そのまま北へ進んでいくと、台地下へ降りていく気になる道があった。
史跡の案内板も。
坂の勾配は結構急だった。
竹林が気持ちよい。
傾斜に沿ってつけられた石段があった。
石段の上はちょっとした紅葉。
上を見てしばし見とれる。
坂の上には公園があった。
そこにも見事なモミジ。
一本あるだけで公園全体の雰囲気が華やいでいた。
振り返ると愛宕山古墳の木立が見えた。
公園の奥に崖下に降りる道がついていた。
すべらないように慎重に降りる。
崖下はさきほどの坂の下で、ちょっとした公園になっていた。
曝井(さらしい)という場所だった。3つの石碑が立っていた。
碑文の内容
郡衙(郡役所)から東北の方、粟河(あわかわ:那珂川)をはさんで置かれた駅家(うまや)の南、坂の中程に水量豊富で大層清らかな泉が湧き出ている。これを曝井(さらしい)と言う。
付近の村に住む乙女達が夏になると大勢ここに集まってきて、賑やかに布を洗い、陽に曝し、乾かした。
別の石碑には、万葉集第九にある高橋虫麻呂の作といわれる歌も。
三栗(みつくり)の 那賀(なか)に向える曝井の絶えず通はむ そこに妻もか
こちらは明治11年建立の石碑。こちらにも上と同じ歌が刻まれている。
公園を出てさらに道を下ると那珂川の堤防が見えてきた。
坂を降りきって振り返ったところ。車は下り専用だった。
たわわの柿は渋いからか。
那珂川の堤。
川面は下流方向の遠くに少し見えただけだった。河口の大洗までは15kmほど。
ズームすると水戸芸術館のタワーが見えた。
上流方向。源流の那須岳は北西方向に直線距離だけで90kmある。
背面には愛宕山古墳がある丘。かつては川を行く舟からも墳丘が見えたはず。
正面に古墳のある台地を見ながらもと来た道を戻った。
つづく。