墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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国指定史跡 愛宕山古墳 茨城県水戸市

前回のつづき。

馬塚古墳を探訪後、100mほど北北西にある愛宕山古墳へ。

 

参道に沿うお宅の南天の実がきれいだった。

 

前方部側の鳥居をくぐって墳丘へ。

 

前方部下端から石段が伸びる。比高差10mの大きな墳丘。

 

石段脇には「茨城百景」の立派な石碑。

 

石段の上から振り返ったところ。

 

解説板にあった等高線測量図。上記の位置は右側にあたる。

 

この解説板は後円部左側の石段下にあった。

国指定文化財 史跡 愛宕山古墳

昭和9年5月1日指定

この古墳は全長136.5m(前方部幅75m、高さ9m、後円部径78m、高さ10m)の規模を誇り県内最大級の前方後円墳である。また有段の墳丘と、みごとに延びる前方部、東方、北西の一部に堀を残すなど、その古式形態を保ち築造当時の面影を現代に伝えている。古墳の造営年代は、その墳形や後円部墳頂及び裾部において発見された大型の円筒埴輪などから6世紀初頭であると推定される。当時那珂川両岸におかれた仲国(なかのくに)の支配者として君臨した首長の墓であることが考えられ、考古学及び古代史研究の上重要な意義をもつ古墳である。水戸市教育委員会

 

 英語でも。前方後円墳は「ancient tomb with a spuare style in the front and circular back」とあった。

National Cultural Property

Historic Site Atagoyama Kofun

Designated May 1.1934

This Kofun (ancient tomb) is one of the largest in Ibaraki with a square style in the front and circular back.It is 136.5m in length, 75m in width and 9m in height in the front, 78m in diameter and 10m in height in the back. This Kofun is one of the few examples of this style, which is fully intact, including steps to the top and the moats around it. This Kofun seems to have been built at the beginning of the 6th century according to its style and clay figures (Haniwa) found at the back. It seems to be the tomb of the governor who ruled Nakanokuni an area on both sides of the Naka River at that time. It is a very important tomb in respect to Japanese archeology and ancient history.

 

大英博物館では、"key-hole" shape となっていた。

ロンドン自然史博物館 大英博物館 ナショナルギャラリー @ロンドン - 墳丘からの眺め

 

石段上部=前方部墳丘端から後円部方向。

 

石段のほかにも上り道がついていた。前方部スカートの左側にあたる。

 

前方部にあった天満宮。

 

くびれ部から横方向。

 

くびれ部から後円部。

 

手水鉢のところにカラス。

 

と思ったら作り物だった。後ろに回るまで本物にように思えた。

 

上記の位置から振り返って。左奥は天満宮。

 

後円部に上る石段。かなりの比高差。

 

左側へ降りる道もあった。降りた先に愛宕神社社務所がある。

 

後円部上の愛宕神社拝殿。

 

拝殿前から振り返ったところ。

 

拝殿の先には本殿。

 

後円部の端。きれいに丸くカーブしていた。

 

後円部上で木々の間から見えた風景。

 

摂社・末社もいくつかあった。

 

後円部に直接上る石段もあった。

 

石段の下から。途中に平坦面(テラス)があることがわかる。

 

ここで「コンコンコン」と木を叩く乾いた音が響いた。眼を凝らすと小さな鳥が一生懸命仕事をしていた(写真の中央)

 

道路に面した鳥居。

 

鳥居のそばに、「ロマンチック・ゾーン マップ」があった。愛宕山古墳はゾーンの左端になる。回天神社、保和苑、二十三夜尊桂岸寺、祇園寺、水戸八幡宮など、興味深い場所が連なる。時間があれば全部回りたかった。

 

社務所の脇の、手作り感のある平和の塔。その後ろに墳丘の裾を巡る路がついていた。

 

くびれ部のカーブに沿った広場。

 

前方部へ斜めに上っていく。

 

前方部の角に沿った路。

 

墳丘斜面に大木があった。

 

前方部の右裾。

 

前方部右裾からくびれ部方向。

 

周囲の道路も墳形に沿ってカーブする。

 

くびれ部のあたり。

 

道路から見たくびれ部。光がきれいに射し込んでいた。

 

後円部横から前方部側。

 

後円部の裾から。墳丘に神社の屋根。

 

後円部のカーブを反時計回りに歩く。

 

路はだんだん狭くなりながら社務所の方へ。

 

一周して鳥居のところへ戻った。東日本大震災復興祈願で建てられた新しい鳥居だった。

 

茨城県教育委員会のサイトでは、被葬者については「仲国造祖建借間命(たけかしまのみこと)の墳墓と考えることが許される」とあった。築造時期は「6世紀初頭」の表記。

愛宕山古墳|茨城県教育委員会

 

水戸観光協会のサイトでは5世紀初頭となっていたが、これはちょっと早いか。

愛宕山古墳 « 一般社団法人 水戸観光協会

 

埼群古墳館さんのサイトでは「本格的な発掘調査がされておらず文献によって5世紀中~6世紀初頭と幅がある」と記されている。

水戸市愛宕山古墳 » 埼群古墳館

 

つづく。