前回のつづき。
天文台構内古墳の「墳囲気」を味わった後は、見学コースに沿って観測室や資料館を見て回った。
第一赤道儀室から大赤道儀室までの100数十メートルに「太陽系ウォーキング」のサインがある。
太陽から土星までの14 億kmを140億分の1に縮めた展示。 太陽系の各惑星がどのくらいの間隔で太陽の周りを公転しているのかが実感できる。水星~火星に比べた土星の遠さがよくわかった。星の大きさも同縮尺なので、太陽の巨大さ、地球の小ささもわかった。
そして土星の先には、巨大なドーム建築があった。
大赤道儀室
以下は、いただいたパンフレットや東京都教育庁発行の東京文化財ウィークの絵葉書資料から。
大赤道儀室 高さ19.5m、ドーム直径15m。
大正15年(1926)完成。設計は東京帝国大学営繕課、施工は中村與資平。鉄筋コンクリート造2階建。
外壁の装飾にはロンバルディア帯(11~12世紀のヨーロッパ・ロマネスク様式の建築に多く見られる、小さなアーチを繰り返す装飾)があり、「ヨーロッパ歴史主義の影響を受けた明治建築に近い特徴を示している」
ツァイス製の望遠鏡は、屈折式では国内最大口径の65cmを誇り焦点距離は10m、土星の衛星や星の位置観測に使われた。
仰々しいスイッチ類だが、なんと1998年まで現役で、今でも観測可能な状態になっている。
室内は資料が展示されており、ガリレオ望遠鏡のレプリカもあった。
その説明板。
望遠鏡を収めるドームは木製で、造船技師の船底を作る技術を用いて造られた。
望遠鏡の床下になる1階部分。望遠鏡の角度に合わせて床もエレベータ式に上下する仕組みになっていた。
大赤道儀室の隣にある4D2Uドームシアター(4次元デジタル宇宙シアター)
ちょうど開始時間だったが事前予約が必要だったので次の機会に。月に3回公開)国立天文台 4D2Uドームシアター公開
シアターの前に、森の中に続く分岐があった。
途中の立ち入り禁止の柵の向こうには、”武蔵野”が広がっていた。
角を曲がると塔が現れた。
太陽分光写真儀室 国登録有形文化財
塔自体が太陽観測望遠鏡の筒になっている。
昭和5年(1930)完成。設計は東京帝国大学営繕課、施工は中村工務所。
鉄筋コンクリート造、地上5階・地下1階。
建物デザインには塔身の直線に、一部曲線が効果的に使われ、壁面のスクラッチタイルは焼きムラを模様のように組み合わせている。
高さ20mの天辺ドームから入った光は、直径65cmシーロスタット(平面鏡2枚・熱に強い水晶製)に反射して垂直に取り込まれ、半地下の分光室で7色のスペクトルに分けられる構造になっている。
ベルリン市郊外のポツダムのアインシュタイン塔と同じ研究目的(太陽の重力によって太陽光スペクトルの波長がわずかに長くなる現象・アインシュタイン効果、の測定)でつくられたことから「アインシュタイン塔」とも呼ばれる。
スペクトルとは異なるが、葛飾区郷土と天文の博物館(京成線:お花茶屋駅)でのリアルタイム太陽観察コーナーも面白かった。
葛飾区郷土と天文の博物館 常設展示再訪、歯車と土器と黒点と。 - 墳丘からの眺め
こちらは旧図書庫。
1930年建設。こちらもスクラッチタイル壁面で、窓の位置や庇のデザインに当時の近代建築物の特徴が見られる。
その一箇所のアップ。
レプソルド子午儀室(子午儀資料館)
1925年建設。
入口の鉄製の庇や、左側壁上の縦筋の模様は、当時流行していた新しい造形運動であるセセッションの流れを汲んでいるそうだ。
内部にはガラス越しに重要文化財のレプソルド子午儀が見える。
1880年にドイツのレプソルド社が製作。有効口径1350mm、焦点距離2120mm。
子午儀は、天体が子午線上を通過する時刻をに観測して経度や時刻を決めるのに使われていた。国立天文台が麻布にあった時には、この子午儀での観測によって旧江戸城天守閣跡地で正午の号砲を撃っていたとのこと。
1925年(大正14年)に当レプソルド子午儀室に移されてからは月や惑星、恒星の赤径決定などに使われた。
側面から。
その斜め向かいには、レーザー干渉計型重力派望遠鏡「TAMA300」が埋設されている(1999年製)
TAMA300の説明板。
さらに奥にある、ゴーチェ子午環室。
1924年建設。
半円形本屋の手前に台形型の入口がつく。
内部に収められたゴーチェ子午環。1903年フランス製。子午儀と同じく子午線面(南北方向)のみ回転し、子午線上の天体の位置を精密に観測する。大きな目盛環があるからこちらは「環」なのか。
ゴーチェ子午環室から見たレプソルド子午儀室。
南側から見たゴーチェ子午儀環室側面。扉がスライドした姿も見てみたい。
再奥部は広場のようになっていた。目の前は桜。春に再訪したい。
背中から見たゴーチェ子午環室。
最奥部の開けた場所には、かつて口径10mの電波望遠鏡があった。
現在は天文機器資料館(旧 自動光電子午環)がある。
資料館の南北はすり鉢状なっている。底にある建物には子午線標と光源が置かれ、地上の基準点となっていた。
ここだけ北海道のような雰囲気。
木々の間からは国分寺崖線の先、遠くの風景がちらりと見えた。
北側の子午線標。左は別の施設。
天文機器資料館(自動光電子午環)
1982年建設。光電マイクロメーターの導入で目視(眼視)でなくなって観測能率が大幅に向上した。
が、それも15年で役割を終え、今はさまざまな機器が所狭しと展示されたいた。
館内にあったお知らせ。
自動化された子午環も、天体観測の場が地上から宇宙空間へと変わり「地上から観測する意義を失ってしまい」、この建物も博物館になった。
日本では天体観測衛星「JASMINE」を計画中とあった。
すべての施設を見終えて正門に戻る(ただし、同じ敷地の一角にある「三鷹市星と森と絵本の家(大正時代の旧官舎)」は見逃してしまった)
途中プラタナスの落ち葉が山のようになっていた。
正門横の守衛室もよく見るとかわいらしい。
門柱上部にも縦ラインがあった。
地上からの天体観測の「敵」は光であるから、自然環境が保護されたのだろう。
天文ファンでなくとも、この静かな雰囲気は魅力的。次回は家族を連れてきたい。
帰りはちょうど武蔵小金井行きのバスが来たのでそれに乗った。
途中「東八道路」の大沢停留所で、バスから「三鷹天命反転住宅」(荒川修作設計)が見えた。
2009年に上下線とも高架になった武蔵小金井駅。
東京方向。