墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

「しながわ魅力発見ツアー 江戸時代の海岸線跡を歩く」・2 小泉長屋 正徳寺煉瓦塀 子育地蔵 @品川区 新馬場駅界隈

前回のつづき。

品川神社富士塚を見たあとに新馬場(しんばんば)駅側に戻り、北馬場参道通り商店街へ。

 

すぐに左の小道にはいった。

 

その先を右へ向かう。ここから魅惑の路地巡り。

 

すると路上に井戸が。今も水が出る現役のポンプ。

 

別の角度から。以前ブラタモリでも取り上げられていた記憶がある。

 

その先に、飛行機型のジャングルジムがある児童公園があった。

 

品川区の解説板が立つ。

以下に転記。

小泉長屋(こいずみながや)

北品川2丁目12番から14番付近

品川宿の字名で、面積五反八歩(4984㎡)の地域です。寛文4年(1664)に板倉主税の抱地になった地で、その後、祐心という人物の所持となって百姓地となり、寛延のころ(1748~50)に祐心が小泉屋金左衛門に譲り、同地に貸長屋を建てたため、小泉長屋と呼ばれました。

 

公園前にも井戸があったがポンプは壊れていた。

 

その先には別の井戸。道の中央にしっかり存在していた。

 

静かに路地を進む。

 

いきなり現れた煉瓦塀。正徳寺(日夜山善永院:永仁6年、1384年創建)のもので、煉瓦塀は明治期の築造。

 

 

味わい深いストレート。

 

再び北馬場参道通りへ。正徳寺への山門はこちら側にあった。

 

通りを渡って別の路地へ。そこには大事に守られた子育て地蔵があった。

 

この地蔵尊の隣の道が改修される前の目黒川の川筋だった。子育地蔵は右の建物。

 

旧目黒川は洪水の頻発で大正12年から改修工事が行われ、蛇行していたものを直線にした。その際に、かつてその立地が川の南側であった南品川宿鎮守の荏原神社(元、貴船明神社)は、北側になってしまっている。

今の道幅の3倍の川幅であったとのこと。

 

その先、山手通りに出るところは道が上っていた。旧川筋は通りを越えて続く。

 

通りを渡って反対側にも路地が。

 

こちらには旧目黒川の石積護岸が残っていた。一見民家の玄関口かと思われるところを上がっていく。

 

民家の敷地へ続く石積み。左の家の基礎の位置は石積み上のレベルになる。

 

使い込まれた石段を上がった。

 

懐かしい雰囲気の家並み。

 

鋭角的な店舗も。このあたり今でも横丁の名前が残っているそうだ(陣屋横丁、竹屋横丁、溜屋横丁、鳥屋横丁など)

 

一行は山手通り沿いの聖蹟公園・旧本陣跡で休憩をとった。

つづく。