墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

「ル・コルビジュエ × 日本 国立西洋美術館を建てた3人の弟子を中心に」展 国立近現代建築資料館

前回のつづき。岩崎邸玄関の先に別会場への入口があった。

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岩崎邸に隣接して国立近現代建築資料館があり、「ル・コルビジュエ×日本 国立西洋美術館を建てた3人の弟子を中心に」展が開催されていた。 

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開催は、11月8日まで。

旧岩崎邸庭園からの入館(入園料400円は必要)であれば、期間中は毎日閲覧可。

下記で入館予約をすれば湯島合同庁舎正門から無料で閲覧できる(ただし平日のみ)

入館予約|文化庁 国立近現代建築資料館

 

文化庁が国立近現代建築資料館を設置したのは2012年11月で、2013年5月に開館記念特別展示が開催されたそう。館長は平林正吉氏、名誉館長は安藤忠雄氏。

 

今回の展示概要は下記の通り(公式サイトから転載)

西洋建築の模倣から始まった日本の近現代建築は、モダン・ムーブメントを受容する中で日本独自の発展をとげ、今日に至っている。その過程において、近代建築界の巨匠であるフランスの建築家ル・コルビュジエ(1887-1965)の作品と思想は、日本の建築界に多大な影響を及ぼした。本展では、日本の近現代建築において、ル・コルビュジエがどのように発見・受容され、展開したかを、パリのアトリエで学んだ3人の弟子たち(前川國男、坂倉準三、吉阪隆正)の活動を中心に探るとともに、日本におけるル・コルビュジエ唯一の実作〈国立西洋美術館〉(1959)の建設経緯と建築の魅力を紹介する。

ル・コルビュジエ×日本 国立西洋美術館を建てた3人の弟子を中心に|文化庁 国立近現代建築資料館

 

ここで係りの方に入館証をいただいて首にかける。

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上記の奥を左に曲がって正面の建物の2階へ。

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扉をくぐると大きな一部屋が会場だった。周囲の壁沿いと円形ガラスケースに貴重な資料の数々が展示されていた。一部の展示物に撮影禁止のマークがついていた。

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中央には国立西洋美術館(1959年竣工)の建築模型。地下も含めた構造がわかるようになっていた。

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国立西洋美術館は、ル・コルビジュエが基本設計を行い、細部の実施設計をコルビュジエに師事した前川國男、坂倉準三、吉阪隆正の3人が協働した。 

この、合わせた4人についてが、今回の展示テーマとなっている。

 

現在世界遺産登録に向けた動きが進展している。

ル・コルビュジエと国立西洋美術館

 

こちらは弟子の前川國男設計で国立西洋美術館と向かい合って建つ東京文化会館(1961年竣工)の模型。

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上記の反対側。ホールの構造もよくわかった。

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こちらは坂倉準三による神奈川県立近代美術館の見取り図。

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上記美術館の中庭で、ル・コルビジュエが訪れたときのスナップ写真。解説によれば「当時、ル・コルビジュエによる無限成長美術館の実作はひとつも実現しておらず、自身に先駆けて実現した弟子の作品に大いに興味を持ったものと考えられる」そうだ。

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こちらの美術館は日本建築学会の”活躍”で取り壊しは免れたが、2016年1月末で美術館の役割は終了。

神奈川県立近代美術館 @鎌倉 - 墳丘からの眺め

 

国立西洋美術館の設立の経緯については、西洋美術館の村上副館長の解説がとてもわかりやすかった。当時の日本政府がル・コルビジュエに美術館の設計を依頼したのは、戦争中フランス政府に押収された松方コレクションの返還条件に応えるためであった。

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戦後まもなく提案された、池邊陽による「渋谷区復興計画案」

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上記の案の右下にある文章部分。「”輝ける谷”という表現にル・コルビジュエの影響がうかがえる」と解説にあった。CGで見てみたい。

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武蔵野の低い丘にかこまれた二つの谷の合流点渋谷。東京の西方への発展と共にあらゆる交通機関は集中し、多くの建築の無計画的堆積の内には只永遠の薄明と人々の喧騒とがあった。しかしながら過去の諸統計は此の街の存在の意味を明かに物語っている。

新宿・渋谷を結ぶ一つの地帯は銀座・浅草の地帯と共に東京の構成軸を形づくりつつある。そして渋谷は此の中での新しい意味における慰楽の中心として構成されなければならない。宮益坂より眺める時、我々は丘の緑につつまれた”輝ける谷”渋谷の姿を明かに思い浮かべる。此処に計画の出発と帰結のすべては含まれている。

 

撮影不可だったもので、中村順平による「大都市東京復興計画」(1924年・102.5cm×75cm)には思わず見入ってしまった。東京都心に幅の広い放射状街路がめぐらされていてパリのよう。ここにもル・コルビジュエの影響がうかがえるそうだ。

 

中2階からの会場。

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中2階では15分くらいのCG映像「国立西洋美術館本館創建時イメージ映像」が流れていた(前田建設工業が製作)

今は周囲の樹木でわかりづらくなっている美術館外観や、絵や彫刻が置かれていない内部がよくわかった。以前から2階展示室にある階段の上がどうなっているのかが気になっていたが、この映像で謎が解けた。

 

 

帰りに事務室で、50頁程の素晴らしい図録をいだたくことができました(在庫次第だと思われますが)

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近代建築ファンには必見の展覧会だと思いました。