平日の午後、空いた時間に「三菱資料館」と「旧岩崎邸」 を訪ねた。
千代田線の湯島で下車し、まずは資料館を目指す。湯島駅からだと資料館は岩崎邸の裏手になり、その敷地をぐるりと反時計回りに回り込んでいく。
敷地の北辺は石垣と煉瓦壁が組み合わさった、風情のある坂道だった。
坂の途中に説明板があり「無縁坂」だと知った。坂名の由来は昔、坂の上に無縁寺があったことによるらしい。
調べていたら、さだまさしがグレープ時代に出した「無縁坂」も、ここが舞台だった。「まだ若かった母」に手を引いてもらって上った坂。
坂の上は東京大学で構内に付属病院がある。
傾斜が結構ある坂で、岩崎邸の壁にも工夫のあとが見られた。
坂の途中に「講安寺」があった。
江戸中期建立の本堂は、社寺建築でありながら土蔵造りで貴重な遺構。幕末建立の庫裏を含めて文京区指定の有形文化財になっている。
本堂の瓦屋根は2段(張り出した軒を入れると3段)になっていた。
説明板は新しいバージョンもあった。
境内から見た無縁坂。
旧町名の表示とその由来。文京区ではよく見かける。
坂上の分岐。ここで左(南)へ曲る。
静かな道を進むと右手にレンガタイル貼りの三菱資料館があった。
入口をはいって右側に2部屋ほどの資料室がある。
入場無料だが土日祝が休館。10時~16時半。
資料館は平成7年に創業125周年記念事業として三菱経済研究所内に設立された。
岩崎彌太郎の銅像。
大熊氏広が、岩崎彌太郎没後の1890年代に岩崎家の依頼で制作した坐像。
大熊は、岩崎彌之助(彌太郎の弟)の支援を受けて1888年(明治21年)に欧州留学し、帰国後に靖国神社の大村益次郎像や有栖川熾仁親王像など著名な銅像を作成している。
どちらも実物を拝見したが、日本に「銅像の時代」があったことを実感できた。
有栖川宮記念公園 南部坂 木下坂 東京都港区 - 墳丘からの眺め
企画展としては彌太郎直筆の書面などを見ることが出来た。
三菱マークの由来。岩崎家家紋「三階菱」と土佐藩主山内家の家紋「三つ柏」との組み合わせだった。
各地にある建築遺構の写真パネルがあった。非公開の施設もある。
御殿山の開東閣は十年くらい前に一度だけ、披露宴で招かれて中へ入ったことがある。
熱海の陽和洞や長崎の占勝閣も素晴らしい文化遺産。三菱グループ以外でも見学できる日を設けていただけないか・・・
文化遺産 - 三菱グループについて - 三菱 mitsubishi.com
たまたま渋沢資料館を訪ねたばかりだったので、2人を対比するとどうなのか気になって調べたら、さまざまなところで「VS」として取り上げられていた。
岩崎彌太郎と渋沢栄一は6歳違いだった。
主義の違いは具体的な事業における闘いとなり、日本郵船の成り立ちが関わっていた。
横浜には日本郵船歴史博物館(1936・昭和11年竣工建物)があるそうなので、今度はそちらを訪ねてみたい。
日本郵船歴史博物館・日本郵船氷川丸|展示・イベント|日本郵船歴史博物館 常設展
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