墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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小平ふるさと村 東京都小平市天神町

前回のつづき。

がす資料館を見たあとに、新小金井街道を南へ歩いて「小平ふるさと村」へと向かった。がす資料館のサイトのリンクにあったので興味が沸いて。

東京ガス:GAS MUSEUM ガスミュージアム / 開館情報・アクセス

 

歩き出してすぐ、「東京ガス武蔵野苑多目的グラント」の向かいに錦城高校があり、校門の並びには地元野菜の直売所があった。

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このあたり、結構農地が残っている。

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 1kmほど行って西武新宿線の下をくぐるったところに、まっすぐな自転車・歩行者道があり、その道沿いに小平ふるさと村があった。

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現地の案内図。右上の距離ゲージのあたりに「がす資料館」、中央やや右下の赤い印が「小平ふるさと村」

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小平ふるさと村は入園無料。10時~16時でオープン。一般駐車場はない。

小平ふるさと村

以下は上記の公式サイトより転載。

小平の地は、江戸時代初期の玉川上水の開通にともなって開発が行われた新田村落です。
かつては、青梅街道をはじめ、東西に走る各街道沿いに屋敷森に囲まれた農家が並び、街道をはさんで農家の南北には短冊型の畑が続いていました。しかし近年は、小平の面影も大きく変わりつつあります。こうした中で小平市は、寄贈を受けた旧小川家住宅玄関棟ほか4棟の建物を解体保管してきました。市民の皆さんの郷土の文化に対する関心の高まりに応え、これらを文化遺産として後世に伝えていくために、「旧神山家住宅主屋」、「旧鈴木家住宅穀櫃」「旧小川家住宅玄関棟」「旧小平小川郵便局舎」を移築復元し、「開拓当初の復元住居」「水車小屋」「消防小屋」等を建築し、平成5年5月に小平ふるさと村として開村しました。
小平ふるさと村は江戸初期から中期の建物を復元した開拓ゾ-ン、江戸後期の建物を復元した農家ゾ-ン、明治以降の近代ゾ-ンを配置し、時代を追って見学できるようになっています。また、年中行事の再現や各種イベントなどを行っているほか、日を決めて「小平糧うどん」の販売も行っています。

 

入口正面の「旧小平小川郵便局舎」 テリとムクリのある赤い屋根。

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赤い屋根に〒の記号があった。

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旧小平小川郵便局舎

この建物は、もと小川町1丁目2095番地にあり、荒井氏所有の小平小川郵便局舎として、長いあいだ地域の人達に親しく利用されてきたものです。昭和58年1月、局舎建替えに伴い荒井氏より小平市に寄贈され、市の指定文化財として敷地北側へ仮移転し保存されていましたが、平成4年3月ふるさと村に移築復元されたものです。

この建物は、明治41年11月15日、小川町1丁目1075番地に郵便局舎として建てられ、大正2年9月4日には140m東の旧所在地に曵屋されました。

その後、郵便業務に加え、電信事務・電話交換等の業務もこの建物で行われており、何度かの増改築が行われているとのことが、解体調査の結果によっても裏付けられました。

移築にあたって、郵便事業とあわせ電信・電話業務も行われていた大正末期の形に復元されました。 

 

内部の窓口には金網が張られていた。

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内部への扉のガラスには「電話室」の文字が残っていた。

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現役時代の写真が掲示されていた。

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金庫もあったが、これだと簡単に・・・

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事務室内部から見た窓口。

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隣の倉庫には、手押しポンプの消防車が格納されていた。

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郵便局を見た後、他の建物へ。

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 園内には5棟ほどの移築・復元建物がある。

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こちらは売店のある木造家屋。地元の名産「ブルーベリーどらやき」を買った。

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土日には昔ながらのうどんが先着50食で食べられるが、この日は休業だった。

小平糧うどん « 小平ふるさと村

木造家屋の反対側は広場に面していて、ちょっとした遊び道具がある。

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脱穀機も。現役か?

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庭の端には茅葺きの蔵もあった。

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以下は説明板より。

 旧鈴木家住宅穀櫃

この建物は、もと北野中(現花小金井)の秋山家に建てられていましたが、大正10年頃、大沼田新田(現大沼町)の鈴木家が譲り受け移築したもので、物置として利用されていました。昭和54年小平市に寄贈され、解体保存されていましたが、平成3年3月ふるさと村に移築復元されました。

穀櫃は「ヘーグラ」ともいい、江戸時代後期、天災や飢饉のため幕府の備荒貯蓄策によって各村に備えられた稗蔵のことで、多くは村の役宅に置かれて管理されていました。穀櫃には稗やアワなどの穀類が蓄えられ、災害や飢饉の際には村人に支給されたものです。

建築年代は明らかではありませんが、建築後まもなくの改造で入れられた板戸の裏に、明治12年の年号と茅屋根の葺き替えにちなんだ歌などの墨書があります。部材の風化具合、構造形式などを考え合わせると、幕末から明治初期の建築と推定されます。

解体時、屋根は寄棟鉄板葺きでしたが、梁に残る痕跡によって茅葺きであったことが明らかで、茅葺き寄棟造りとして復元されたものです。なお、軒の出が深く、軒先の重さを受けるため柱を入れて補強をし、また小屋組にも補強材が入れてあります。

 

壁の上部が開口していて、外から小屋の屋根組みが見えた。

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高い生け垣の影に屋敷があった。

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 以下説明板より。

旧神山家住宅主屋

この建物は、もと回田町129番地の神山家の住まいで、その屋敷地にあったものです。昭和54年小平市に寄贈され、解体保存されていましたが、平成3年3月ふるさと村に移築復元されたものです。

言い伝えでは「この主屋は小金井から移築された」といわれており、解体調査からもこのことが裏付けられています。

間取り型式は、江戸時代中期の後半(18世紀後半)から後期にかけて見られる喰違い四ッ間型と呼ぶものです。小金井に建てられた当初は、三間取り広間型と呼ばれる江戸中期まで遡る形式であったと考えられます。

小平の新田開拓農家として、江戸時代中期から後期にかけての住まいの特長をよくとどめる貴重な文化遺産であるといえます。

 

土壁の主屋。

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生け垣の後ろは障子のある畳敷き。

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十五夜飾りがあった。お酒は澤乃井。 

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この家は、上がって遊べるようになっていた。

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旧神山家の裏には、開拓当初の復原住居があった。

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ちょっとした水路を越えて行く。水車小屋もあった。

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 幾重にも段のついた茅葺き。

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壁も茅で造られている。

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軒高は低い。壁を濡らさないようにか。

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内部は土間と、スノコ床とゴザ床で、畳敷きはなかった。

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 以下説明板より。

開拓当初の復元住居

この建物は、江戸時代初期に小川村を開拓した農家の住まいであり、小川家に残る古文書に基づいて推定復元したものです。

この古文書は、小川村の開発名主であった小川家が、代官所にさし出した開発の請書の写しで、一種の建築届と思われ、明暦年間(1655〜57)頃のものと推定されています(『小平町誌』より)

そこには材料や工法について「柱は栗の丸太を掘立てにし、床は竹のスノコか籾殻、わらくずを地面に敷きつめ、筵を敷いたもので、壁は茅か麦わらでかこっただけ」とあり、二人宅、四人宅、六人宅の各建物の規模についても書かれています。

この建物は、このうち規模の最も小さな二人宅を復元したものである。 

 

裏側の屋根の苔むした感じがとても綺麗だった。

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小道に沿って進むと、堂々とした玄関があった。 

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玄関棟のみの移築。以下説明板より。

旧小川家住宅玄関棟

この建物は、もと小川町1丁目2、370番地の小川家主屋に付属する玄関棟でした。昭和51年主屋の建替えに伴い小平市に寄贈され、解体保存されていましたが、平成4年3月ふるさと村に移築復元されたものです。

この玄関は、主屋とは別棟として建てられたもので、主屋とは渡り廊下でつながっていました。正面と背面に破風のある入母屋造りで、正面左手に「控えの間」を設け、寄棟造りの屋根が矩折れ(かねおれ)に付きます。正面の破風は、けやきの千鳥破風とし、懸魚(けぎょ)、六葉(ろくよう)をそなえ、木連格子(きづれごうし)が入る本格的なものです。棟札によって文化2年(1805)に建てられたことがわかります。

小川家は、開発以来、幕末までの200年にわたって小川村の名主を代々務めた家で、この玄関棟が名主屋敷のものとしては他に例を見ないものであることから、別格の高い地位を占めていたことがうかがわれます。

 

 中に入れるようになっている。

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玄関の内側から。

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「控えの間」には、江戸期のジオラマが展示されていた。

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延宝2年頃、小川村開拓当初の古地図も。

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敷地内には馬頭観音も。

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小川には由緒ありそうな小型の石橋もあった。

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 敷地内の庭園は、その名のとおり(かきの木公園)の姿だった。

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それほど広い敷地ではないが復元された建物(市指定文化財)が周囲になじんでいて、江戸期の佇まいが感じられるように思えた。

 

小平駅と花小金井駅のちょうど中間でバスでも行けるが、どちらからも遊歩道(多摩湖自転車道路)で徒歩20分。散歩にちょうどよいのでは。