墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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史跡 佐渡金山 産業遺産(採掘施設)ガイドツアー 新潟県佐渡市下相川

前回のつづき。

10時からの製錬施設見学終了後、続けて11時からの採掘施設ツアーへ。

通常は立ち入り禁止の「大立竪坑跡」の中に入ることができる。

ガイド付 産業遺産(採掘施設)コース | 史跡 佐渡金山

 

上記サイトの案内文。

大立地区一帯には金鉱脈が何本も走っており、江戸初期より採掘が行われました。明治10年には日本初の洋式竪坑(地下エレベーター)が建設され、地下深くの鉱脈を採掘できるようになり、平成元年の操業停止に至るまで、常に採掘の中心基地でした。

コースに沿って、数々の坑道跡や休山時まで使用された採掘施設、鉱山機械類が操業当時の姿のままで残されており、当社ガイドの案内で歩いて巡ります。金鉱石採掘の壮大な歴史ロマンとスケールの大きさに圧倒されるツアーです。

 

まずマイクロバスで少し道を上り大立竪坑跡へ。

 

 

現地の解説板。

明治維新以降明治政府は佐渡高山を国の直轄鉱山とし、欧米より積極的に技術を導入し、鉱山の再開発を計りました。

大立竪坑はドイツ人アドルフ・レー等の企画実施により明治8年開削が開始され、明治10年に完成された日本最古の洋式竪坑です。

竪坑の断面は18尺(5.45m)×8尺(2.42m)の矩形で深さは約500尺(150m)であり、動力は当初馬絞車と称する馬力捲揚が行なわれたが数年にして蒸気機関を使用するようになりました。

この竪坑はその後幾多の変遷を経ながらも平成元年まで鉱山の中心施設として活躍しました。

上記では深さ150mだが、公式サイト及びガイドさんの説明だと、352mとのことだった。 

 

南京錠を開けて斜面に張り付くような道を進む。

 

途中にポンプ? 山腹には坑口跡が100ヶ所ほどあるという。

 

巨大な鋼鉄の櫓。地下へ続くエレベータの穴の深さは、東京タワーが下にすっぽり入ってしまう。

 

 

トロッコごと上げて、崖下の別のトロッコに積み替えたようだ。

 

柵があるがちょっと足がすくむ。

 

鋼鉄櫓の先には、櫓の背後の位置にあるドームへの入口があった。外光の差し込む大空間に、重機や道具がそのまま残されていた。

 

捲揚機の背面から。

 

油が滲み、今でも動きそうな雰囲気だった。

 

当時最新鋭の空気圧縮機。

 

この頃の坑内の動力は、主に圧縮空気が使われていた。

 

「INGERSOLL-RAND CO   NEW YORK   IMPERIAL TYPE 10」とのプレートがあった。

今でも続いている会社だった。

http://www.ingersollrandproducts.com/ap_jp.aspx

 

圧縮空気を貯めて送り出す装置。

 

隣には別の機械の土台が残っていた。かつてはこの空間で馬が回っていた時もあった。

 

こちらは捲き揚げの動力伝達か。

 

人間的な雰囲気のある機械。

 

 こちらも。

 

さまざまな種類のスパナも揃えられたままだった。

 

機械に囲まれたひと時を過ごして外へ。鉱山は1896年(明治29年)に三菱に払い下げられている。

現在も三菱マテリアルの子会社の「ゴールデン佐渡」が所有している。

三菱マテリアル|史跡佐渡金山建造物の重要文化財指定について

 

 

櫓の下からは道の向こうに割戸(われと:鉱脈を掘って山を割り崩したところ)も見えた。

 

道に下りて、濁川沿いに歩いて下る。

 

すると別の坑道(大切山坑)の入口があった。

 

説明板もあった。

下の方がよく読めなかったので、最後の部分は表示どおりではありません。

大切山坑(おおぎりやまこう)

この坑口は大切脈の開発のため寛永8年(1631)に山師味方与次右衛門によって開かれ18年後の慶安2年(1649)に着脈したものです。

味方与次右衛門は、青盤間歩の大盛りによって銀600貫を得たため手代共にこの銀で田地を求めようかそれともよき場所を選んで新坑を開こうかを尋ねました。手代の一人が大切山を開いたならば必ず大盛りを得られ子孫に対し田地に劣らざる重宝であろうと申し出たので与次右衛門も決意して開坑に着手したといわれております。

大切脈まで400m以上あったため坑道の断面を大きくするとともに、並行して坑道を掘り空気の入れ替えをよくしています。

 

ガイドの方に見せて頂いた1695年の絵図。平行する坑道と貫通地点が描かれている。

 

 ここは柵越しに眺めただけ。「山師ツアー」ではこの中へ入っていくようだ。

 

 真正面に「道遊の割戸」

 

斜面をよく見るとところどころに坑道の穴が見えている。

 

説明板もあった。

青盤(あおばん)脈及び道遊(どうゆう)脈の露頭

正面が青盤脈、右手の山が割れて見えるのが道遊脈です。

青盤脈は走行(そうこう)N75°~80°E、走行延長2100m、傾斜60°N乃至80°S、傾斜延長500m、脈幅最大30m、脈幅平均6mで佐渡金山のチャンピオン脈として稼行されました。

道遊脈は走行N70°、走行延長120m、傾斜80°N、傾斜延長150m、脈幅最大35m、脈幅平均10mで山が割れているのは露天掘りの跡で「道遊の割戸」として佐渡金山のシンボルとなっています。

 

こちらは「煙穴」

江戸時代は坑道で火を灯すしかなかったので、油の煙の中で作業していたとのこと。

暗くて煙くて湿った坑道で、大変な苦労だったはず。

 

このすぐ先の金山施設入口へと戻った。

このツアーにも「無名異坑」見学がついているが、10時からの製錬施設ツアーとダブっているのでここで分かれ、ツアーを終了した。

このあと歩いて回る2つのコース、宗太夫坑(江戸期)・道遊坑(明治以降)へ入った。

つづく。