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墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

宿根木の町並み 重要伝統的建造物群保存地区 新潟県佐渡市

旅・山・自然 建築物、公園、街道、坂道 新潟県の古墳、寺社、遺跡、街歩き 細道・路地・小道

前回のつづき。

小木民俗資料館から海岸段丘を歩いて下ると、宿根木(しゅくねぎ)の集落になる。

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車で来たので、坂を下って海沿いの駐車場へ移動した。

宿根木は佐渡市の最南端にあって、新潟県では2015年時点唯一の国選定の重要伝統的建造物群保存地区。江戸後期から明治初期に盛んであった北前船の寄港地として発展した町で、船大工が手がけた建物の面影が保全されている。宿根木 - Wikipediaより

 

案内所のある駐車場から家並みへの入口。

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小路を歩いて行くとすぐに山側に突き当たる。

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反対側は海の方向。

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さすがに小路まではストリートビューには対応していなかった。

 

佐渡市教育委員会によるパンフ「千石船の里 宿根木」の解説が非常にわかりやすかったので下記に転載。

佐渡の文化は、俗に「国仲の公家文化」「相川の武家文化」「小木の町人文化」に大別される。国仲のそれは、中世の頃から配流の島となり、順徳天皇日蓮日野資朝世阿弥など中央からの流人の影響で形成されたものである。相川と小木は、戦国時代から近世初頭にかけて、金山と廻船による商品経済への移行が佐渡を大きく変えて、金山直轄地の「相川」と廻船港「小木」を成立させた。

宿根木は、「小木の町人文化」形成に先駆けて、中世の頃より廻船業を営む者が居住し、宿根木浦は、佐渡の富の三分の一を集めたと言われるほど栄えた。やがて小木港が江戸幕府によって整備され、商業の中心が小木港に移行すると、宿根木の者は船主が先頭となり十数人の船乗りと共に、全国各地へ乗り出して商いを続けた。村には船大工をはじめ造船技術者が居住し、一村が千石船産業の基地として整備され繁栄した。

その時代の集落形態が今日見られる宿根木の町並みである。村を流れる称光寺川と平行し、数本の小路が海へ向かい、それに面して家屋が肩を寄せ合い建っている。約1ヘクタールの土地に110棟の建造物を配置する高密度である。建物の外壁に船板や船釘を使ったものもあり、千石船の面影をしのべる。宿根木集落の特徴は、家屋の密集性にある。主屋のみならず、納屋、土蔵が林立する様は、廻船による栄光とその衰退、出稼ぎと農林漁業の転換という歴史を映し、建物の変化を見せてくれる。質素で静かなたたずまいを保つ宿根木の町並みも、一歩中へはいると目をみはるものがある。

公開施設となっている「清九郎」家のごとく、くぐり戸をはいった土間は、広くゆったりし、それに続く「オマエ」(居間)は、囲炉裏を中心に広々している。また、赤黒く輝く溜塗りの柱、板戸、天井など、単に贅をつくしたとはいえない文化の積み重ねと生活の工夫のあとがうかがえる。

宿根木の村へ入り、そこに身を置いた時、忘れかけていた集落の機能、捨てようとしても捨てきれない文化の重み、いつまでも持ち続けたい家と家族の絆。そんなことをゆっくりと、そして静かに語りかけてくる。

 

海側と並行する小路。わざと迷っても全く大丈夫。

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重要伝統的建造物群保存地区 は全国に110ヶ所あるそうだ。下記がそのリスト。

重要伝統的建造物群保存地区一覧|文化庁

 

「アート的」な板塀。

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4館共通券で小木民俗資料館の他に、公開民家の「清九郎の家」「三角屋」「金子家」を回ることができた。

 

廻船主の主屋である清九郎の家。当初建築年代は弘化3年(1846)と推定されるが、幕末~明治初期の時代で復元されている。

ボランティアの方による詳しい解説が聞けて興味深かった。

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上部に松竹梅の透かし彫りがある豪華な仏壇。

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2階の広間の襖絵。

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2階からの眺め。薄く割った板を何枚も重ねて石を置くのは「石置木羽葺屋根」と呼ぶそうだ。板はくさりやすいので管理が大変とのことだった。

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吹き抜け2階窓の手動開閉装置。ロープや滑車は船大工の得意仕事。

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庭は崖に面しており岩を削った蔵があった。

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まるで横穴式石室のようだった。

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外へ出て、再び町並み散歩。

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緑に塗られた板壁は郵便局だった建物。

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ちょろちょろ流れる称光寺川も氾濫することがあったようだ。

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狭い土地なのに川のカーブに沿って家が建ち道が続いていた。

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JR東日本の広告で有名になった「三角家」

平面プランが三角形の建物。実は四角形の建物を移築したときに敷地に合わせてしまったのだそうだ。船大工(の子孫)ならお手のもの?

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動画編。

 

こちらが平面プラン。ちゃんと風呂もある。

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こちらが2階。結構広々していた。

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公会堂は修復中だった。

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川が流れてくる木立の方へ向かうと「ここは宿根木の一番奥です」のサインがかかる称光寺となる。

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ここも崖を掘って石塔のスペースをつくっていた。

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井戸のある三叉路の石段を上がる。

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すると崖上の道に出た。

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「美しい屋根の村」との説明板があった。昭和30年代に瓦葺が普及したが、それ以前は写真(昭和30年頃)のように板に石を載せるものだった。

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ところどころで、「石+板」での保全がなされていた。

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最後に海岸へ。

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「船つなぎ石」は、帰りの千石船で米俵の代わりの重しとして運んできた花崗岩だった。

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水は透き通っていた。

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宿根木は古い建物が残り、細い路地が交錯する、思っていたとおりの素敵な町でした。

(自分もJR東日本の広告に影響された一人でした)

ただ人気が出すぎて人が押し寄せると、簡単にキャパを超えて雰囲気が変わってしまうように思いました。いろいろな場所に共通する難しい課題ですね。

 

なお他の観光ポイントとして、小木港で「たらい舟体験」ができる場所もありました。

つづく。