墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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木場周辺と東大島の塩舐め地蔵 

前回のつづき。3つの展示を見た後、少し歩いた。

東京都現代美術館の東側あたりの小道。大きくうねっていた。

通りに並行した右側に大横川があって橋が周辺より高い位置にあるので、上の写真の道路と交差する道は右に向かって上っていく。

 

大横川にかかる三石橋から。

 

上空は雲が垂れ込めていたが、東の空だけ晴れていた。

 

少し歩くとバスが来たので3つ4つのバス停分乗って住吉駅の近くで下車。駅まで新大橋通りを歩いた。

そこここからスカイツリーが見えるので初めて歩く場所でも安心感がある。

 

都営地下鉄新宿線を3駅先の東大島まで乗った。4月に中川船番所で戴いた周辺史跡マップにあった場所を訪ねる目的で。

 

大島口(西口)で降りて左側の小名木川方向へ、宝塔寺を目指した。

途中にあった江東区第五大島小学校の正門。

 

右の大きな標柱は過去の洪水時の水位が記されていたが大正6年の高潮は、AP(Arakawa peil:荒川工事基準面)+4.2m。現在の堤防はそれより高い位置にある。

 

途中にあった板塀の家屋。上にとび出た小屋根が気になった。

 

大きなマンションのところで左折すると宝塔寺の塀があった。

 

小名木川の側から見た宝塔寺。

 

こちらが本堂。

 

そしてこちらが塩舐め地蔵。

 

小名木川から掘り出され、1610年(慶長15年)の開創とともに宝塔寺に安置されたとのこと。

 

お地蔵に備えられた塩を「いぼ」にぬると治るという。願い事をするときと叶った時に塩を供えることになっていた。

塩の袋に囲まれたお地蔵様。先日NHKの番組にも映っていたのでそのままに。

 

幹の部分は四角かった。

 

脇には屋根に守られた六地蔵もいらした。

お参りの後は東大島に戻って、再び一駅乗って船堀へ向かった。

つづく。