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墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

国指定史跡 吾妻古墳 栃木県壬生町(一部栃木市)

前回のつづき。

直前に探訪した車塚古墳の説明板にあった一文、「なお、車塚古墳の西側を流れる黒川を約4km下ると、県内最大規模の前方後円墳である吾妻古墳があります」に誘われて訪ねた。

 

 表示の矢印に従って森の中に入ると説明板があった。

 

真新しい説明板。

国指定史跡:吾妻(あずま)古墳

指定年月日:昭和45年7月22日

所在地:壬生町大字藤井字吾妻1051-1、栃木市大光寺町2969

吾妻古墳は、近年の発掘調査の成果から栃木県内最大の前方後円墳であることが確認されました。墳丘は二段に造られ、特に墳丘第一段の平坦面が幅広く造られる(基壇)という、県央部の大型古墳に見られる特徴が吾妻古墳にも認められます。

古墳の規模は、墳丘の全長が127m、周溝を含んだ総全長は162mに達します。

石室は前方部の先端にあり、巨大な一枚石の凝灰岩と玄武岩質の緑色岩で造られた「玄室」と川原石を積み上げて造った「前室」からなります。石室の規模は、全長が8.4mあり、「玄室」は奥行き2.4m・幅1.7m・高さ約2.0mあり、内側の石の表面に赤色の顔料が塗られています。

墳丘からは、円筒埴輪や朝顔形埴輪、家、盾、靭などの形象埴輪が出土しています。石室内からは、挂甲の小札、銀装の刀子、金銅製の帯金具、ガラス玉など下毛野国の王者にふさわしい遺物が出土しています。古墳の構築方法や出土遺物から、吾妻古墳は6世紀の後半代に築かれた古墳と考えられます。

現在、石室の「玄門石」と「天井石」(県指定有形文化財)は壬生城址公園内に移設されています。

平成26年3月 壬生町教育委員会

 

幅広の周溝が明瞭に残り、奥まで続いている。

 

周溝の底から。左手に墳丘に向かう小道。

 

周溝から基壇を見上げたところ。広い基壇の先に墳丘がある。

 

国指定を受けた直後の標柱も残っていた。

 

後円部裾から逆時計回りに歩いたみた。

 

横から見たくびれ部

 

上記の位置から少しひいて。左が後円部、右が前方部。

 

前方部から先。森の中だが周溝はわかる。

 

前方部先端に上り道がついていた。

 

説明板にある石室はまさにこの上り道の真下に埋まっているようだ。

 

埼群古墳館さんのサイトに、2010年・2008年の現地説明会の様子が詳しく紹介されている。

壬生町吾妻古墳第3回現地説明会 » 埼群古墳館

壬生町吾妻古墳第2回現地説明会 » 埼群古墳館

「後円部にも埋蔵施設があるかもという考えもあるそうだ」の一文がとても興味を惹かれた。

 

前方部に上がらせていただいて墳丘上、後円部方向。

 

くびれ部あたりから後円部。ここへ来る途中のコンビニで虫除けスプレーを買ったが効果が薄く、立ち止まるとたちどころにとまってくるので、シャッターを押しつつ歩く感じだった。

 

墳丘の東側はちょっとこの季節は歩くのが難しそう。

 

後円部頂上。

 

後円部から見下ろした基壇。

 

基壇から後円部。

 

先ほどとは逆に、後円部から基壇を時計回りに回ろうとした。

 

やはりちょっと草むらの丈が高くなってきて一周は断念。

 

東側にもきれいに残る周溝。

 

再び周溝の底に一旦降りて「栃木県内最大の前方後円墳」にお別れした。

 

3kmほど南にある琵琶塚古墳も全長3mほどの差しかなく、かつ吾妻古墳より古い。周囲が開けていて墳丘の大きさがよくわかる墳丘派向けの古墳

↑はじめてトレンチを見た場所。 

 

吾妻古墳から6~700m東を流れる黒川は、600mほど下流で思川と、その先の渡良瀬遊水池で渡良瀬川と合流する。

 

黒川にかかる橋から吾妻古墳の方向(多分)

この4km上流に牛塚古墳・車塚古墳、さらに7kmほど上流(支流)には羽生田地区古墳群(茶臼山・富士山古墳など)がある。

この川は、かつての重要な交通路・輸送路、「古墳街道」なのだろう。

 

黒川にかかる橋から北、壬生の街方向の道路わきに大きな杉が2本聳えていて、旧街道の面影を残していた。