前回のつづき。
牛塚古墳を見た後に、いよいよ車塚古墳へ。今回の主目的地としていた古墳。
以下は説明板から。
国指定史跡 車塚(くるまづか)古墳
種類:国指定史跡
指定年月日:大正15年2月24日
所在地:壬生町甲字車塚3153-1他
所有者・占有者:壬生町他
車塚古墳は、栃木県を代表する古墳時代終末期の大円墳です。墳丘は三段につくられ、墳丘の第一段の平坦面(基壇)が幅広くつくられているのが特徴です。墳丘の大きさは、墳丘第一段の直径が82m、第二段が52m、第三段が32mあります、
堀(周溝)の底からの高さは約11mあります。
墳丘の周囲には、ほぼ完全な形で円形に堀と土塁(周堤)がめぐり、近年二重目の堀が新たに発見されました。二重目の堀を含めた古墳の総全長は約135mにも達します。
墳丘の南側には、巨大な凝灰岩の一枚石を使用した横穴式石室が開口しています。石室については、江戸時代の古文書などに、当時すでに開口していたことが記されています。
なお、車塚古墳の西側を流れる黒川を約4km下ると、県内最大規模の前方後円墳である吾妻古墳があります。
平成24年3月 壬生町教育委員会
綺麗な形の円墳。
墳丘の大きさは、さきたま古墳群の丸墓山古墳(直径105m、高さ18.9m) に比べると8掛けくらい82mになるものの、良く残っている周溝を含めると全長135m、なんと言っても大きな石室がある。
満願寺、八幡山古墳、さきたま古墳群(再訪) - 墳丘からの眺め
周堤上から。右が墳丘。足首ぐらいまでの草地だが、布の靴が濡れるので草の少ない場所を探す。
すると墳丘側面の「穴」が目に入ってきた。
吸い寄せられるように近づいた。南側に向かって開口している。
堂々たる玄門。
玄室は長さ3m、幅2.8m、高さ2.3mで、幅1.35mの玄門が開いている(車塚古墳 (壬生町) - Wikipedia)
Wikipediaでは築造年代についても下記のように触れている。
副葬品の出土がないため築造時期を知る明確な手がかりがないが、石室の構築方法・規模などから、7世紀前半代に位置付けられている。
側壁、奥壁、天井石のそれぞれが、一枚岩で組み合わさってる。
赤味を帯びているのは石の色ではなく、ベンガラによる彩色。
側壁の表面。表面を平らに削るのも大変だったと思われる。
玄室内部の高さが2.3mあるので、余裕で立てる。
座って開口部を振り返ったところ。
開口部から外の眺め。ここの立地は周囲との高低差があまりなく、台地の先端という場所ではなかった。
足元には葺石のような石があった。
基壇の先に周溝、周堤がある。
墳丘に上がらしていただいた。
円墳なので360度見渡しても変わり映えがしない。
藪蚊の猛攻を受けた。写真を撮ろうと一瞬動きを止めると、すぐに手にとまった。
やはり古墳探訪のベストシーズンは晩秋か早春か。
埼群古墳館のサイトでは、現地説明会の様子が詳しく紹介されています。