墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

「村野藤吾の建築 ~模型が語る豊饒な世界」展 @目黒区美術館

建築家・村野藤吾(むらのとうご)のことが気になり始めたのは、何かのガイドブックで糸魚川谷村美術館の写真を見てからだったような。

といっても設計した建物を見て歩いているわけでもなく、機会があれば宇部市渡辺翁記念会館を見てみたいなどと思う程度だったが、建築模型で魅せる展覧会があると聞いて目黒で開催中の「村野藤吾の建築 ~模型が語る豊饒な世界」展へ行ってみた。

 

会場の目黒区美術館は目黒駅から徒歩10分だが、山手通りの東急バス停「田道(でんどう)小学校入口」が最寄り。

 

2015年9月13日まで開催中。10時~18時、月曜休館、一般800円。

 

入口のパネルは撮影可だった。

以下はパネルの案内文より。

日本を代表する建築家の一人 村野藤吾(1891~1984)は、戦前戦後を通して幅広く多様な建築を数多く手がけました。村野は、住まう人々、集う人々に対して建築はいかにあるべきか、向き合うべきかを常に考え、時代の流行に乗ることのない、ゆるぎない独自の理論を展開したと言えます。その姿勢から生まれた豊かな建築は、きめ細かいデザインによる密度のあるディテールと豊かな素材感、そして有機的な優しさと品格を備えています。

京都工芸繊維大学美術工芸資料館に託されている村野・森建築事務所の建築設計図は、同校建築学研究室を中心に外部研究者を加えた「村野藤吾の設計研究会」により研究が進められ、今年13回目となる「村野藤吾建築設計図展」において、その成果が毎回発表されてきました。その際、学生達の手によって村野建築精緻な模型が制作されてきました。

このたび、村野藤吾の建築にかかわる研究を続けてきた京都工芸繊維大学美術工芸資料館、村野藤吾の設計研究会と、村野藤吾設計による目黒区総合庁舎(旧千代田生命本社)の普及に取り組んできた目黒区美術館は、2013年から共同企画として準備を進め、このたび、その村野建築の模型80点と図面、写真で構成する展覧会を開催し、村野藤吾の世界を俯瞰していきます。

50分の1、100分の1、200分の1で制作された模型は、普段では見ることができない視点で村野建築を味わうことを可能としてくれます。また、実現されなかった計画案の模型においては、村野の知られざる表現を明らかにしてくれます。1928年の南大阪教会から村野没後、1988年に竣工した三養荘新館まで、80棟の模型による、村野藤吾の豊饒な世界をお楽しみください。(後略)

 

1階に代表的な5点の模型(撮影可)が、その他は2階の3つの部屋にカテゴリーごとにまとめられて展示されていた。そのカテゴリーは、美術館、教会・修道院、住宅、庁舎、百貨店、娯楽・集会施設、ホテル、オフィスビル、大学・研究所、交通(駅舎・レストハウス)、アンビルド。カテゴリーだけ見ても守備範囲の広さがわかる。

 

3点の美術館建築(糸魚川市の谷村美術館、小諸市の小山敬三美術館、原村の原村歴史民俗資料館~赤岳登山ですぐそばを通ったのに立ち寄らなかったことが悔やまれた)が50分の1サイズ、それ以外は、100分の1か200分の1のサイズだった。

サイズが統一されていたので作品の規模を理解するのに役立った。

 

以下は1階の展示(壁面展示の図面や写真は撮影不可だった)

千代田生命本社ビル 現:目黒区総合庁舎 1966年竣工

以下に解説を転載。

1966年・2003年改修

高度成長期にあり、会社の急激な近代化と機動性をはかるために中央区京橋から大規模移転した生命保険会社のオフィスビル。駒沢通りに面した5000坪の緩やかな傾斜地は、南と東の7mの高低差を活かし、棟ごとの設計が行われた。中央の池を南口玄関棟、本館、クラブ棟(茶室、和室、クラブ室)が囲み、さらに築山もあり変化に富む。この地域が住宅街であったことから、周囲との関係を考慮し、外壁には「跳ね返すのではなく光を吸収する」アルミ鋳物による鉄格子のバルコニーがめぐらせている。壁と壁が出合うところには村野の細心の造形力が発揮され、広場に立つと棟ごとに違う表情が見えてくる。軽快な庇が客を迎える南口玄関棟のホールに入ると、作野丹平のモザイクによるトップライトや岩田藤七のガラスブロックなどが彩りを添え、その奥には「階段の魔術師」と言われた村野の複雑な曲線を描く階段がある。千代田生命が経営破たんの後、2003年に改修工事を経て目黒区総合庁舎となった。

目黒区、GOOD JOB!

 

傾斜地の「高低差を活かし」ている。

 

縦のスリットが美しい。丁寧に作りこまれた模型。

ウルトラマンガバドン)の撮影にも使われた「由緒ある」建物でもある。

 

読売会館・そごう東京店 現:読売会館・ビックカメラ有楽町店 1957年竣工 東京都千代田区

以下は解説を短縮。

百貨店そごうが初めて東京に進出した有楽町駅前。読売新聞社が施主となって店舗と1,200名収容の読売ホール等を建てた。フランク永井の「有楽町で逢いましょう」はこの百貨店のキャンペーンソングだったそうだ。

「有楽町駅前の三角形の不整形な敷地の形をそのまま建ち上げたヴォリュームとその上に危ういバランスで張り出す塔屋を組み合わせて、ダイナミックな造形を試みている」

 

日本生命日比谷ビル(日生劇場) 1963年竣工 東京都千代田区

日本生命東京総局と日生劇場を中心に構成された複合施設。

 

「劇場内部はアコヤ貝貼りの天井とガラスモザイク貼りの壁が有機的な曲面をなし、洞窟を思わせる神秘的な空間が形づくられている」と解説にあった。

内部を実際に見てみたい。

 

森五商店東京支店(近三ビルヂング)1931・1956増築・1959増築・1992改修 東京都中央区

以下は解説から転載。

近江で呉服太物商を営んだ森五商店の東京支店。独立前から、小倉工業学校時代の友人が勤めていた近江帆布と付合いがあり、両社の社長であった森五郎兵衛に設計を依頼された。独立した村野の名を世に知らしめた作品で、偶然発見したブルーノ・タウトが絶賛したことでも知られる。鉄筋コンクリート造煉瓦貼りの既存建物を取り囲む形で建てられ、元の重厚な建築とは異なる清新な外観が形作られた。立面全体と窓の比例や細部の納め方に注意を払って設計されており、壁とほぼ同一面をなす見込みの小さい窓やわずかに丸められた建物の角がファサードの平面性を強調している。その一方で、様式建築の特徴であるコーニスが、水平性を強調した笠木に置き換えられて残存する。また黒褐色の塩焼きタイルや足元まわりの黒御影石、エントランスホール天井のモザイクタイルが豊かな表情を与えている。モダニズム建築の美を踏襲しながらも「白い箱」の枠に収まらない、村野建築の原点である。

 

模型に人が配置されているとリアリティが増す。施主に説明している設計者?

 

日本興業銀行本店 現:みずほ銀行本店 1974年竣工 東京都千代田区

以下は解説より。

長さ170m、幅43mで先端は16mとなる細長い敷地の幅広の部分に執務スペースを最大限確保、細くなる北側(上記写真左側)には機械室を10層分塔状に地上部分から張り出して配置している。

 

オフィス側入口は開口部を縦型のスリット状とし「周囲との調和を図っている」

 

80点に及ぶ建築模型群は壮観だった。 

 

建築模型鑑賞は、まさに案内文にあったように、普段は見ることのできない様々な視点で建築を味わうことを可能としてくれる。

中からの視点はとれないが、あそことあそこがこうなっているのか等、鳥の目で「作品」を楽しむことができた。

 

建築模型展示といえば、前に茗荷谷東京大学総合研究博物館小石川分館で見た常設展示「建築博物誌」もよかった。

 

エントリのために検索していたら、村野氏は建築物のために家具のデザインを行なっており、復刻された魅力的な椅子やソファを販売しているサイトがあった。

 

美術館を出て前の道を行くと、気になるクランクと石仏群があった。

 

六体の石仏が並んでおり、説明板もあった。

田道庚申塔群 目黒区2-13

区指定有形文化財(昭和55年9月9日指定)

この前の道は麻布・青山方面と目黒不動を結ぶ古くからある道で、その道の脇に庚申塔6基と、地蔵尊を刻んだ念仏供養塔1基が並んでいる。各庚申塔には青面金剛・日月・二鶏・三猿などが浮き彫りされ、造立年代は延宝5(1677)年から正徳3(1713)年にかけてのもので、田道庚申講中の氏名も明確に刻まれている。ここにある庚申塔は大型で保存状態や作柄も良く、江戸時代中ごろから農村で盛んとなった庚申信仰を知る上で重要な資料である。庚申信仰とは60日ごとにめぐってくる庚申の日に青面金剛の掛軸などをまつり、会食懇談しながら徹夜する民間信仰であった。

平成18年2月 目黒区教育委員会

 

説明板にあるとおり保存状態がよい。今も瓦屋根の建物に守られている。

 

その場所からは、目黒川の対岸にある清掃工場の煙突がよく見えた。

 

田道小学校入口バス停から見えた部屋。建築展の後だったので建物が気になった。

 

※追記 その後、目黒区総合庁舎を訪ねました。