前回のつづき。
諏訪大社春宮を参拝した際に、そのすぐ近くにある万治の石仏(まんじのせきぶつ)を訪れた。
石仏があるので、地名(字名)が石仏になっている。
「万治三年」(1660年)の文字が刻まれた、高さ2.6m、胴回り12m近い、安山岩の自然石に彫られた阿弥陀如来。
頭部は支柱で固定されている(1991、2008修復)
胴体と比べ小さな頭部になるが、大きな鼻が素材の石の色とともに際立っていて、いいバランスになっているように感じる。
石の表面に印を結んだ手が刻まれている。
大きな背中。岡本太郎らによって絶賛されて有名になった。
かつてはすぐ横を流れる川で遊ぶ子どもが上に乗ったり服を乾かしていたりしたそうだ。この背中の上は気持ちよさそう。
万治三年と彫られている部分。
現地の説明板。
下段の方は字が小さいので下記に転載。
石には「南無阿弥陀仏 万治三年十一月一日 願主 明誉浄光 心誉慶春」また、胸には幾つかの謎の文様が彫られている。
向かって右から太陽・雷・雲・磐座(いわくら)・月などで、これは大宇宙のすべてを現し、右端には逆マン字が刻まれている。
これは大日如来を教主とする密教の曼荼羅で、阿弥陀尿来と大日如来を一体の石仏に共存させた「同体異仏」を信仰する密教集団の弾誓上人を祖とする浄土宗の一派である。「南無阿弥陀仏」と唱えれば現世でこの身このまま成仏できると説き、民衆に即身成仏による仏としての自覚を与えた。これは今までに例のない念仏思想で「仏頭授受」を伝えるものといわれている。
石仏は浄土宗の弥陀定印を結び、願主は浄土宗に帰依した人の法名で、兄弟かまたは師弟のつながりを持っていて、その二人がこの石仏を造立したのではないかと推定されている。
願いごとをしながら時計回りに3周する。
横の田では、稲の花が咲いていた。
石仏の横を流れる川。右に春宮があり、中央の中洲を橋で渡っていく。
大胆に水浴びをしている女子たちがいた。