前回のつづき。
諏訪大社上社本宮から直線距離で10km、諏訪湖を挟んで北北西に諏訪大社下社春宮があった。
下社の方は春宮。秋宮ともに幣拝殿の正面に神楽殿があった。
春宮の幣拝殿。
以下は説明板より
幣拝殿 国重要文化財
この建物には御幣を奉ずる幣殿と拝殿が一体となったもので幣拝殿と呼ばれている。
建築様式は二重楼門造りで全体に見事な彫刻が施されている。
棟梁は地元の宮大工柴宮(伊藤)長左衛門で秋宮と同じ絵図面で秋宮幣拝殿より一年早い安永9年(1790)に落成した。
春秋両宮は社殿構造は同じで当時は双方で技術が競われた。
春宮の一之御柱
春宮、秋宮それぞれに一之柱から四之柱が4本ずつ建つ。計8本の柱は4月初旬に「山出し」で3日間、5月初旬に里曳きで3日間、曳行(えいこう)される。
(上社でも8本が曳行される)
こちらにも曳き擦った跡が残っていた。
たまたま、翌日山に行く際に乗ったタクシーの運転手さんが御柱祭に詳しい方で、自分が「御柱を曳くときには、コロやソリは使わないのですか」と聞いたら、「そんなことをしたら神様に殺されます」との答えだった。
また、同行の山仲間の一人が諏訪の方だったが、その方が「お父さんがかつて曳行長(えいこうちょう)を経験したことがある」と話したところ、「曳行長!曳行長!(リフレイン) いやあ、そんな方に会えるんだなあ」と非常に感激されていた。
幣拝殿の後ろの御柱も見えた。
下社秋宮にも参拝した。
秋宮と春宮は旧中仙道でつながっている。山裾を地形にそってゆるくカーブする、道幅が狭いが風情がある車道を1kmほど。
神楽殿の重厚な注連縄。
秋宮の幣拝殿。たまたま春宮と同じ角度で撮っていた。
下社春宮から旧中仙道を北に2kmほどいった場所に木落し坂がある。
御柱祭のクライマックスの場所。
急な斜面に柱が置かれているのでわかりやすい。
ゾクゾクするような高さ。いかに大変なことをしているかもわかりやすい。
置かれていた柱は斜面に正対したいなかった。このまま落としたらごろごろ横に転がって大惨事が予想される。正しく曳くことがいかに大事なことかがわかる。
「諏訪大社下社御柱街道 天下の木落し坂」の大きな石碑があった。
以下は説明板より。
諏訪大社 御柱木落し坂
諏訪大社の御柱祭は、7年目毎申・寅年に行います。規模の大きさ、勇壮・豪快なことは比類なく、天下の大祭として知られています。
樅の巨木を奥山から切り出し「山出し祭」が御柱祭の4月、町内を曳行し建立する「里曳き祭」を5月に行います。
曳行途中、木落し坂と呼ぶこの急坂で、御柱を引き落とすのが下社山出し祭の最高の見せば「木落し」です。男意気に駆られる若者たちが、群がりうちまたがった御柱を100m余り・傾斜度45度近い崖のようなこの木落し坂頂上から、一気に引落します。落下の反動で、若者たちの大半は放り出され御柱とともに転がり落ちる、一帯を埋め尽くす大観衆は一瞬息をのみ、驚声と大歓声が沸き上がり、その豪壮さは筆舌に尽くせません。
「男見るなら7年に一度 諏訪の木落し坂落とし」
と唄われてきました。この木落し坂での木落しは、下社春宮・秋宮の御柱八本を三日にわたって行います。下諏訪観光協会
YOU TUBE、「御柱祭」で検索するといくつもヒットした。一番上にあった4回前の平成4 年の記録。
つづく。