墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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東郷元帥記念公園 九段小学校 東京都千代田区三番町

8月1日の土曜日、千秋文庫の「館蔵 古地図展」を見に九段へ出かけた。

市ヶ谷から靖国通りをゆるく上っていくと「東郷公園」のサインがあったので立ち寄った。

 

公園の西側の坂では舗装工事中。

 

そのまま坂を中腹まで降りると、年代モノの給水タンクがある公園入口があった。

 

元は東郷平八郎の自宅があった場所。台地の斜面にあるが全体が公園になっている。

 

一番下は、九段小学校と接する広場。ラジオ体操会場になっていた。

 

結構な高低差。

 

階段途中から九段小学校方向。斜面を削って敷地を設けている。

 

石段上部から。

 

下記は千代田区のHPより。東郷元帥記念公園

公園内は高低差があり、昭和4年に低い部分が上六公園として開園し、その後昭和13年に公園に隣接していた東郷平八郎連合艦隊司令長官(日露戦争でロシアのバルチック艦隊を破った)の私邸が東郷元帥記念会から寄付を受け、高い部分を公園として開園しました。
園内には東郷邸にあったライオン像や力石が残され、子どもたちのための遊具も設置されています。また、公園の真ん中には「震災対策用応急給水施設」があり、地下に水が蓄えられています。

 

 工事現場につられて側面から入園したので、ライオン像や説明板を見逃してしまったことを後から知った。

 

公園にはさまざまな遊具があったが、小さな子ども用のプールもあった。

 

プール付近から見た九段小学校。建物の角が丸く処理されている。

 

公園に接する小学校の東側に、魅力的な階段道があった。

 

上記の中央右、小学校敷地内の気になる土盛り。台地下に位置するので「違う」と思われる。

 

階段にはスロープも付いていた。

 

上記の正面奥の家は斜面を削って建てられていたが、削られた斜面は煉瓦壁になっていた。

 

階段を下から見上げたところ。何かの模様があった。

 

階段下の九段小学校入口。今は正門ではないようだが立派な門だった。

 

その横に、なんと建築計画のお知らせが。地上4階、地下2階の(鉄骨)鉄筋コンクリート造に建て変わる。

 

南側に回るとアーチ型の窓がリズミカルに並ぶモダンなデザインの建物全体が見渡せた。

 

千代田区観光協会のサイトでは【千代田区景観まちづくり重要物件】として紹介されていた。千代田区立九段小学校

大正15年(1926)竣工。関東大震災の復興事業にあたり東京市は、不燃化構造とするため鉄筋コンクリート建築を採用しました。また、公園を併設するなどの試みも行われました。これは都市計画の中に小学校を位置づけて災害時の避難所としても使えるようにしたものです。九段小学校にも、東郷元帥記念公園が併設されています。
 復興小学校には、外観デザインはそれぞれに独自のものとされており、町の顔として時代の意匠をまとった凝ったものが多くなっており、九段小学校もパラボラアーチ型の窓や、土筆の塔など特色があります。

 

歴史的価値のある建物で、一部保存か全面改築かの議論があったようだが、地下2階、地上4階ということは後者ではないかと思われる。

規模は9150平方メートル 九段小学校・幼稚園|建通新聞

 

校舎南面の道路沿い。千代田区三番町で左側奥にはローマ法王庁大使館もある。

 

フェンス越しに、ぴょこんとした時計台も見えた。

 

壁伝いに進むと、九段小学校・九段幼稚園と刻まれた石の門柱があった。

 

東郷公園側にもアーチの連続窓がある。

 

玄関には「近代化遺産」のプレートがあった。

 

こちらのブログによれば、この九段小学校(旧上六小学校)の設計は東京市臨時建築、施工は石井権三とあった。

 

こちらの九段小学校(千代田遺産という奥の深い、個人サイト?)では内部も、「戦艦三笠にあった東郷元帥愛用の洗面器つき洗面台」を含む多くの写真が掲載されていた。

 

なお千代田区立九段小学校のサイトでは現校舎は8月3日以降使用できなくなる、とあった。学校要覧の沿革には、昭和9年に東京市東郷尋常小学校と改称され、昭和21年に東京都九段国民学校となっている。

 

歴史的な場所に建つ歴史的な建物。建て替えは寂しいが安全との二者択一であれば仕方ないのだろう。

つづく。