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墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

内牧塚内古墳群 埼玉県春日部市

埼玉県の古墳、寺社、遺跡

前回のつづき。

サッカー観戦の合間に春日部市古墳に立ち寄った。

家を出る前に、埼群古墳館さんのサイトで目星をつけていた。

 

春日部市は東端が千葉県との境で江戸川で区切られるが、中央を古利根川がカーブを描いて縦断し、その支流も数多く流れる。

ウィングハット春日部の周辺も豊富な水量の用水路が複数あった。

そのウィングハットから北北西に4.6km、東武野田線を越え、工業団地を抜けていくと、古利根川支流の間の台地の上に内牧塚内古墳群があった。車だったのですぐだった。

 

グーグルマップ上に「内牧塚内古墳群」と表記のある地点には、石碑と説明板があった。

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台地は大宮台地の”支台”で慈恩院台地というそうだ。小規模な円墳が13基点在。

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内牧塚内(うちまきつかない)古墳群 

所在地 春日部市内牧

内牧塚内古墳群は、大宮台地の一支台である慈恩院台地にある。この台地の南東裾部には中川低地が広がり、西方には古利根川、南方には元荒川が流れている。

この台地の南端に十三基の古墳が点在していたことが確認されているが、その多くは径10~15m前後の小規模な円墳で、うち9基には横穴式石室が確認されている。横穴式石室には、榛名山二ツ岳の噴火により噴出した角閃石安山岩(かくせんせきあんざんがん)が用いられていて、この様式は利根川水系古墳によく見られるものである。古墳群の築造年代は古墳時代後期の6世紀中頃から7世紀中頃までと推定される。

古墳群のうち、4号古墳は昭和52年夏に学術調査(発掘調査)が行われ、内部主体として三つの粘土槨と一つの木炭槨が検出されている。このように4つも主体部をもつ古墳は、類例の少ないものといわれている。また、出土品には、人物埴輪、円筒埴輪、朝顔型埴輪のほか、直刀、鉄鏃、土師器、須恵器、ガラス玉などがある。

この地域は、古利根川を境に西側が武蔵国、東側が下総国となっていて、その文化の違いにより古墳から出土する円筒埴輪にも凸状帯の位置や数などに違いが認められ、それぞれ武蔵型円筒埴輪、下総型円筒埴輪と呼ばれている。この4号古墳からは、武蔵型円筒埴輪のほか下総型円筒埴輪も出土していて、この地が武蔵国にありながら下総型文化の影響を強く受けていたことを示している。昭和61年3月 春日部市

 

しかし、墳丘を認識することができなかった。

横から見た説明板(左端) 道に面して立っているが・・・

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その背面には雑草に覆われた微妙な林床。

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林の先に地元の方らしき人がいらしたので古墳のことを聞くと、それはこの先の内牧公園にあるとのこと。早速公園に向かった。

 

公園の駐車場前には目に鮮やかな水田風景が広がっていた。

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左が公園。台地の縁に沿って横に長い。右は無人の野菜販売所(売り切れだった)

クレヨンしんちゃんの街のそば(春日部駅から3km地点)に、こんな素敵な風景が広がっているとは。

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内牧公園には台車付きの貨車があった。

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右の貨車が管理室になっていた。人がいらしたので古墳のことを聞いた。

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すると、古墳はこの公園にはなく、「先ほどの石碑がある場所」にあるとのこと。

ただし、遺跡はあるとのことなので、そちらに行って見ることにした。

駐車場を隔てて、反対側のエリアの台地の上に向かう。

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いきなり旧石器時代のくらしの跡。15000~13000年前のナイフ形石器や焼けた石が発掘された。

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縄文遺構の跡があるエリアに建てられた縄文風の休息所。

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利根川に近い台地上のこの場所も、 相模川沿いの台地上にあった田名向原遺跡と同様に1万年以上に渡って人が暮らしてきた場所だった。

 

 

公園のさらに奥には「トリム施設」があった。森の中に健康器具が点在する。管理室があるあたりはアスレチックがあって親子連れで賑わっていたが、このあたりはほとんど人がいなかった。

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木々の合間から台地下の緑が見える。

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春日部で一番古いイエ(縄文時代早期前半・稲荷台式)

平成4年の発掘調査で見つかった今から約8000年前のイエの跡。楕円形で長径6m、短径4.8mって、柱の穴が20本見つかった。

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その先、公園の一番東の端に、円墳のような土盛りを発見。

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平らな頂上部。

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頂上部からの台地下側の眺め。

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位置からしても円墳の感じが色濃く漂っていたが、説明板等は何もなかった。

 

公園を後にして石碑のあった場所に戻り、埼群古墳館さんのサイトをよく見ると周囲数百mに小円墳が点在しているようだが、それでも位置がよくわからず迷っていると畑の中に古墳らしき木立が。

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ズームすると祠があった。ひとつは見られたのでよしとした。

あとで3号墳と知った。

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子供のチームの午後の試合が始まりそうだったので、会場に戻った。

 

後で調べていると、こちらのサイト(pdf)に行き着いた。

http://ohoka-inst.com/uchimakitsukanai.pdf

最初の石碑の裏に大まかな古墳地図が刻まれていたのと、そこに記された4号墳へ行けば説明板と「詳しい周辺地図」があったことを知った。

あと一本東の小道に入っていたら・・・

最初の方にそのことさえ教えて頂ければ・・・

再訪せよというお告げなのでしょう。

 

ちなみにこちらのサイトでは内牧公園の塚は古墳とは記されていなかった。