前々回のつづき。
旧石器時代学習館から相模川とは反対側へ200mほど向かい、右折して国道129号にかかる橋を渡る手前にポンプ場があった。
正門前に、少し年季の入った説明板があった。
当麻谷原古墳群について
相模川に臨むここ谷原から塩田にかけての台地上にかつて10数基の古墳がありました。
昭和34年5月に、文化財保護委員等が、この中の1号墳を調査したところ、遺体を安置した横穴式石室から人骨と直刀、鉄鏃、金環、玉類が発見され、相模原の歴史と文化を知る上できわめて貴重なものであることがわかり、昭和35年2月16日この1号墳は相模原市の史跡に指定されました。
昭和44年、神奈川県内の水道確保の目的から、この地にポンプ場の築造が計画され、古墳群の一部にも工事が及ぶことになりました。このため、古墳などの状態を記録に残すため、日野一郎氏を団長とする谷原遺跡調査団に発掘調査をお願いしました。
その結果、同一家族と思われる数個の遺体を一つの古墳に合葬した家族墓が複数造られ、典型的な古墳時代後期(7世紀後半)の群集墳の特色を備えていること、また、この古墳のすぐ近くに9世紀前半から竪穴住居の集落が作られるようになったことなどがわかりました。
この貴重な文化遺産を後世に伝えるため、市指定の1号墳と、3・4号墳を元の状態に整備して敷地内に保存しています。
なお、ここの施設には、職員が常駐しておりませんので、右図の※印の位置でごらんください。そのほか、古墳についての問合せは、相模原市教育委員会社会教育課へお願いします。
神奈川県内広域水道企業団
敷地に沿って周囲を歩いてみた。まずは地図の左側にあった※印まで。
柵に「見学位置」とあった。
その位置より手前の方が良く見えた。
谷原古墳群1号墳。右奥に3号墳も頭を覗かしていた。
そのまま進んでいくと、さらによく見える場所に。草木が刈られているので墳丘が良く見える。
さらに進むと、道は台地の縁になる。
国立市谷保の古墳探訪時に歩いた道と同じ雰囲気だった。
住宅の合間に、金山神社があった。
ポンプ場敷地に接する。
古墳(谷原古墳群4号墳)とも接していた。
4号墳の位置から見た1号墳。
3号墳もなんとか見えた。
ポンプ場からは、相模川の対岸まで水道橋が伸びていた(立ち入りは禁止)
ポンプ場のすぐ東は国道129号の切り通しとなっていた。
そのまま橋を越えて、この日最後の探訪先とした当麻東原古墳を目指した。
つづく。