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墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

相模原市立旧石器時代学習館 神奈川県相模原市中央区田名塩田

前々回のつづき。

相模原のギャラリーから4kmほど南、相模川河岸段丘の上に目指す場所がある。

 

いつもお世話になっている埼群古墳館さんのサイトで「相模原市」の古墳を検索すると数ヶ所が示されたので、そこを最終目的地とした。

相模原市 » 埼群古墳館

行ってみたら、なんと国史跡の田名向原遺跡公園内だった。

希少な旧石器時代の遺跡で、前から気になっていた場所だった。

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以下は施設(市)のサイトより。

史跡田名向原遺跡は、発見された旧石器時代の住居状遺構から、人類の定住化の歴史を語る重要な遺跡として保存されており、平成11年1月28日に国の史跡指定を受けました。
この学習館は全国的にも数少ない旧石器時代をテーマとした学習館で、旧石器時代を中心に縄文時代古墳時代まで学ぶことができます。
また、野外展示では旧石器時代の住居跡、縄文時代の竪穴住居、古墳時代の小円墳が復元されているほか、イベントや講演会なども行なわれています。

 

県道48号線をはさんで、学習施設と遺跡公園がある。そして遺跡公園には古墳も!

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着いたのが17時を回っていたので見学は無理かと思われたが、ここは18時まで開館(4~10月まで) 「開いててよかった」

入館無料。撮影不可とあったが、係りの方にたずねて了承していただいた。

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旧石器時代の暮らしの再現コーナー。

田名向原遺跡は約20,000年前に遡る。

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旧石器時代の必需品の黒曜石。割った切り口が鋭く、ナイフになる。その後の時代の鉄のようなものではないか。今でも外科医のメスにも使われているそうだ。

写真のものの大きさは一つが握りこぶし大。9個まとまって出土しており、「旧石器人が原石を一時的に保管していた場所ではないかと考えられている」

すべて長野県の星ヶ塔産だそうだ。(星ヶ塔遺跡は今年2015年3月に国指定史跡となっている)

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パネル展示が充実していた。旧石器時代から中世まで各時代での展示があるが、最も充実しているのはやはり旧石器時代

 

以下パネルより。

関東平野では、相模野台地を始め武蔵野、大宮、下総台地などに黒曜石の利用が確認される旧石器時代の遺跡が分布しています。

旧石器人は、黒曜石を求めて遠く離れた原産地に出向いて採取を行なったのか、あるいは交換などの方法で入手したのかは明らかではありません。しかし、この時代にはすでに広い範囲で黒曜石の交易が行なわれていたことが各地の遺跡調査から確認されています。

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田名向原遺跡では八ヶ岳の麦草峠産地のものが多い。 

その近く、北西にある男女倉(おめぐら)の星糞峠には2年前に訪れた。

 

 

相模野台地は後期旧石器時代の遺跡の宝庫。綾瀬市の吉岡遺跡は3万5000年前に遡り、大和市の月見野遺跡群も田名向原遺跡と同時期の2万年前になるとのこと。

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田名向原遺跡は、田名しおだ区画整理事業にともなって発掘調査がはじまり、旧石器のみならず、縄文、古墳、奈良・平安、中世までの遺跡が分布するそうだ。 

 

連綿と人が住み続けてきた「好立地」ということだろう。弥生時代が抜けているのが気になった。千葉県でも弥生時代に人が減っている(以前に加曾利貝塚博物館で、そのような説明をみた)

 

旧石器時代の住居復元モデル

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発掘調査で出た柱穴跡の位置からは、大きな住居状遺構が想定できるそうだ。

柱を立てて梁を渡し、縄をめぐらした上に、狩猟で得た動物の皮革などで覆っていたと考えられる。

直径が10mを越える規模の遺構は世界的に見ても例がなく、建物が大型であったということは多くの人が生活していたことの証左であり、石器作り工房や石器の流通センター、あるいは河川漁労の拠点などさまざまな営みがあった可能性があるとのこと。

 

少なくとも2万年前から、「人はあまり変わっていない 」「昔から知恵があった」ことが実感できた。

 

現在の遺跡周辺の模型。左が相模川で、中央下の細長い建物が学習館。遺跡は地域全体に広がっている。

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そして古墳時代のパネル。

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以下パネルより。

田名塩田遺跡群の発掘調査では、弥生時代の遺跡は確認されていません。しかし、古墳時代後期から終末期(およそ7世紀前半から後半頃)の集落が主にB地区の八瀬川周辺で多く確認され、40軒もの住居跡が確認されました。この集落は東西250m、南北180mにわたる広さをもち、集落の中心には一辺が7mを測る大形の住居跡が見つかっています。

出土遺物は赤褐色の土師器のほか、古墳時代に中期に朝鮮半島から伝わった、窯で焼く須恵器の坏や甕も出土しました。

また、相模川寄りには14基確認されている谷原古墳群があり、この集落はこれらの古墳を構築した人たちの集落と考えられます。

 

そしてこちらが谷原(たにはら)古墳の説明パネル。

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谷原古墳群は、当麻谷原から田名塩田にかけての段丘上につくられた古墳群で、相模川上流部では最大の古墳群です。これまで確認された14基はいずれも7世紀前半の古墳時代後期から終末期の円墳です。

古墳群は東群と西群に分けられ、両群の間には約200mの空閑地があります。東群の4基は発掘調査され、1号墳はポンプ場内に保存されて市の指定史跡となっています。また保存・活用ゾーンに移築・復元された12号墳は、石室が良好に残されており、人骨は残っていませんでしたが副葬品が埋葬時のままで発見されました。大小6点の直刀と鉄鏃類は石室の壁際に遺体を囲むように置かれ、たくさんのアクセサリーの玉類と耳飾りは頭の位置周辺から出土しました。その他、保存・活用ゾーンには13号墳、14号墳2基が現在も保存されています。

 

地図の部分のアップ。古墳群が相模川河岸段丘上の縁に続いていたことがわかる。

ポンプ場付近の一群は埼群古墳館のマップにも表示があったもの。

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13号墳から出土した大甕

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内部につけられた模様が面白い。表側は滑らかに整えられているので、何か意味があってのことだろうが。

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12号墳出土の鏃や装身具、高坏(たかつき)など。

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同じく12号墳出土の刀など。12号墳は学習館の北東にあったが削平され、遺跡公園の方に移築復元されている。

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縄文土器も。縄でつけた文というより、縄の文のように見せた感じの模様。

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どんぶりくらいの大きさのクルミ形の土製品もあった。

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館内見学のあとは、道路を渡って屋外展示へ。

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 つづく。