墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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土浦市立博物館 茨城県土浦市

6/20土曜日の午後、「古墳時代の箱式石棺の世界~東アジアから霞ヶ浦沿岸へ~」という公開講座の開催情報を入手していたので、土浦市の市立博物館に出かけた。

特急ときわにも乗って土浦駅で下車。駅前に停まっていたバスの運転手さんに尋ねたら、3~5番はどれでもいくけど隣りのが早く出ると聞いてそれにとび乗った。駅から停留所3,4個目で170円。

下は降りた場所から乗ったバス。筑波山口行きでローカル色溢れるラッピングだった。

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亀城(きじょう)公園入口のバス停はお堀の横。大きな柳が揺らいでいた。

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土浦城跡の亀城公園に入る。

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濠ではその名のとおり亀が甲羅干し。

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本丸と二の丸の跡が公園として整備されている。それほど広くはない。

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公園を横切った先に、堂々とした土浦市立博物館があった。

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本日は館長講座の日と、この時点では思っていた。

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入館料は105円。入口壁の地図は撮影可だった。

土浦が、桜川が霞ヶ浦に流れ出る河口の三角州上にできた町であることがよくわかった。

かつて城の外濠は直接霞ヶ浦に面していた。

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エントランスにあった巨大な花火の筒。

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日本三大花火大会に数えられる土浦の花火大会にはそれなりの由緒があった。

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花火筒

土浦市中村西根の鹿島神社に伝わる花火筒で、明治38(1905)年の 日露戦争凱旋記念で使われたものです。2つに割った松の木の内部をくり抜き、竹のタガをまいて筒としています。最も大きな花火筒は高さ423cm、直径63cmもあります。市内高岡の鹿島神社などにも、花火筒が伝えられてきました。

日本三大花火でしられる土浦全国花火競技大会は、大正14(1925)年、海軍航空隊で殉職した人々の霊を慰めるために始められました。しかし、それ以前から土浦地方の農村では祭りなどで花火を楽しむ人々の姿がありました。なかでも江戸時代に始められたと伝えられる大畑の「からかさ万灯」(国選択無形文化財)は、傘の周囲に仕掛けられた花火が雨のように降りしきる華麗なものです。宍塚(ししづか)では「龍星(りゅうせい)」とよばれる打ち上げ花火が行われたという江戸時代の記録が残されています。

からかさ万灯は、土浦市公式ホームページによると江戸時代から続く例祭で、土浦市大畑1890の鷲神社で直径5m・高さ6mのからかさ(唐傘)の形をした仕掛けから花火が滝のように流れ落ちるそう。

8月15日、午後9時ごろ点火だそう。見てみたい。

 

館内撮影は不可だった。下記のみ許可をいただいて撮った。

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ここで重大な事実が判明。目的の公開講座は「明日」だった。

某メルマガでは6/20とあり、そのまま現地に確認をせずに来てしまった。

その替わりに、常設展示(興味深い史料、解説がありました)をじっくり見ることができた。前2回の資料も購入することができ嬉しかった。

その後、市内散歩に向かった。

つづく。