墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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近衛歩兵第一・第二聨隊記念碑 @北の丸公園

すでに2ヶ月近く前の4/27、品川子爵(品川弥二郎)銅像を見学し、下記の田安門を見た後、北の丸公園内を回った。

 

ポール・マッカトニーの看板を見た後に、芝生広場へ。人影はほとんどなく。

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芝生広場は地図にある池の左側の黄緑の部分。

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その位置は、東京国立近代美術館工芸館(旧近衛師団司令部庁舎) の裏手(北側)になる。

 

芝生の横の林の中に、近衛歩兵第二聨隊記念碑があった。

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近衛歩兵第二聨隊記念碑

近衛歩兵第二聨隊は、明治7年1月23日、日本陸軍最初の歩兵聨隊として創設され明治天皇より軍旗を親授せられて以来、昭和20年大東亜戦争の終結に至るまで、70余年の間此の地に駐屯して日夜皇居の守護に任じ、この間明治10年西南の役、ついて日清事変にて南支、佛印へ出征し、輝かしい勲功を残した。

近衛兵は毎年全国から選抜された、優秀な壮丁を以って編成されていた。

平成10年1月23日 近歩二会

石垣のオブジェのような碑がひっそりとあった。

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 同じ小道沿い、武道館寄りには第一聨隊の碑があった。

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 近衛歩兵第一聨隊跡記念碑

近衛歩兵第一聨隊は、日本陸軍最初の歩兵聨隊として創設され、明治7年(1874)1月23日、明治天皇より軍旗を親授せられて以来、昭和20年(1945)大東亜戦争の終末に至るまで、71年余りの間此の地に駐屯して、日夜皇居の守護に任じ、大正天皇 今上天皇も皇太子であらせられたとき、それぞれ十年の長きに亘り御在隊遊ばされた名誉ある聨隊である。

西南・日清・日露の各戦役及び日華事変には、軍に従って出征し、輝かしい勲功を樹て、大東亜戦争に於いては、帝都防衛の一翼を担った。

近衛兵には、毎年の徴兵検査で全国から厳選された優秀な壮丁を以って充てられていた。

昭和43年1月23日 全国近歩一会

 

こちらも、北の丸休息所の裏手の目立たない位置にあった。

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名文が刻まれた説明板も。

「たとい魂魄となりても永久に皇居を守護し奉らん」とあった。

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