墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

旧東京第一陸軍造兵廠本部(北区中央公園文化センター) 東京都北区十条台

3回前のつづき。

赤レンガ図書館を訪ねた後、南に隣接する中央公園に向かった。

 

写真左手の林が中央公園。右は陸自駐屯地。

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駐屯地の方には白いシンプルな建物と広いグランド。丸い形の窓は赤レンガ図書館にもあったが、デザインを引き継いでいるのだろうか。

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中央公園内の、まるで円墳のような丘。木蔭の斜面にシートを敷いてくつろいでいる方もいた。

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その先の一角にはウッドチップが山積みになっていた。「自由にお持ち帰りください」とあった。

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さらに進むと、木々の間に白い建物が現れた。

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南側の正面。左右対称の堂々とした建物。駐輪場には沢山の自転車。文化センターとして賑わっていた。

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こちらの方のブログ建築マップによれば、竣工は1930年(昭和5年)

 

下記は「写真と地図でめぐる軍都・東京」 竹内正浩著 161頁にある建物に関する説明。

王子中央公園の土地は米軍に最後まで接収されていた場所で、昭和41年以降は「キャンプ王子」という名で知られるようになった。建物は東京兵器補給廠の本部として長期間使用され、昭和28年から昭和41年まではアメリカ極東陸軍地図局など地図部隊の活動拠点となった。地図局がハワイに去った後、昭和43年には、ベトナム戦争の傷病兵を収容する王子野戦病院が開設されている。キャンプ王子周辺は、ベトナム反戦運動の拠点でもあった。

 

壁面に近づくとレンガの形が浮き彫りになっているのがわかる。

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以下も前掲の竹内正浩氏の著書より

旧造兵廠本館が白いのは、接収した米軍が、もともと茶色のスクラッチ・タイルだった外壁を塗り直したためである。同じく白亜の建物の印象がある市ヶ谷台の旧陸軍士官学校一号館も、接収までは茶色だった。

 

茶色のスクラッチタイルということは、九段会館(竣工:昭和9年)の壁面のような感じだったのではないか。

 

玄関階段上から車寄せのアーチ。木立の先には2車線のバス通りがあり、その先50m位に滝野川が流れる。

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1階の階段手すり。大きな円筒形。常陸太田梅津会館(竣工:昭和11年)を思い起こした。

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2階から階段側。建物北側方向。窓の先は駐車場。

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細長い3連縦窓は上下に意匠が付いていた。

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2階の南側。手前は車寄せの屋根。

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この上部にも3連縦窓のスペースがあるはずだが、行き方がわからなかった。

 

あとで調べていたら当建物の東横に赤羽台第3号古墳石室が移築復元されていることを下記のサイトで知った。

http://mj-ktmr2.digi2.jp/p13tk/tpx1011tokyo2.htm

・・・痛恨の見過ごし。

 

公園を出たところに案内板があった。

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次に現在地の南、滝野川3丁目にある四本木稲荷神社を目指した。

つづく。