墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

有栖川宮記念公園 南部坂 木下坂 東京都港区

日比谷線広尾駅から150mほどにある有栖川宮記念公園

麻布台地の端の傾斜地で、かつての大名屋敷跡。

公園の北には麻布中学校・高等学校があり、西には中国、スイス、ノルウェーの大使館、南にはドイツ大使館がある。

 

公園敷地を上から見ると野球のホームベースのような形をしている。

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以下は説明板の内容。

有栖川記念公園の由来と特色

この地は江戸時代、旧盛岡藩主南部美濃守の下屋敷でしたが、明治9年(1896)に有栖川宮御用地となり、更に大正2年(1913)には高松宮御用地となりました。その後、児童の自然教育および健康に格別の関心をもたれた高松宮殿下が、昭和9年(1934)1月5日、故有栖川威仁親王の御命日にちなんで御用地約11,000坪(36、325㎡)を公園地として賜与され、当時の東京市は直ちに工事を進め、同年11月17日有栖川宮記念公園と命名し開園したものです。

本園は都心にはまれな閑雅な地であり、丘陵から渓谷を下り池畔に至る地形の変化と、うっそうとした樹木など日本古来の林泉式の修景により、高雅な自然趣味の庭園となっております。またウメやサクラ、ハナミズキなどをはじめとして四季折々の花も多く、秋にはカエデやモミジの紅葉も楽しむことができます。

また、園内の広場には本園にゆかりの深い故有栖川宮熾仁親王の銅像があります。

なお、現在は麻布野球場と庭球場を編入し、本園の総面積は67,171㎡です。

 

面積は6.7haなので上野公園14haの半分ほどだが、森林浴ができるほど「自然の豊かさ」が感じられる公園だった。

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斜面を小川が流れ、池へと注ぐ。

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野鳥も見られるそうだ。

 

港区とは思えない雰囲気。

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アーチが美しい石橋。

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訪れたのは5/3。新緑が綺麗だった。

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園内の遊歩道は歩きやすく整備されている。

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谷底の遊歩道から。斜面の上は木下坂。木の葉の向こうに見えるのは「末日聖徒イエス・キリスト教会日本東京神殿」の塔上の彫像。

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公園内には有栖川宮熾仁(たるひと)親王の銅像がある。

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以下は現地説明板より。

有栖川熾仁親王の銅像

有栖川熾仁親王(1835~1895)は有栖川宮家九代目の親王で、明治維新西南の役、日清戦役ですぐれた勲功をたてられました。その間、福岡藩知事や元老院議長、左大臣、近衛都督、参謀総長などを歴任され、明治28年(1895)1月に亡くなられました。

この銅像は大熊氏広作で明治時代の代表的作品の一つとして極めて高い芸術品です。明治36年(1903)10月10日千代田区三宅坂参謀本部構内に建立したものを、昭和37年(1962)3月1日道路拡幅事業の際、ゆかりの深いこの公園に移設しました。

 

台地の上部には遊具のある広場がある。木蔭が気持ちよい場所で、インターナショナルな親子連れで賑わっていた。

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公園の南側、ホームベースの右側に沿って「南部坂」がある。

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以下は標柱の説明。

南部坂(なんぶざか)

有栖川宮記念公園の場所が、赤坂からうつってきた盛岡城主南部家の屋敷であったために名づけられた(忠臣蔵の南部坂は赤坂)

 

南部坂を坂上から。

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こちらは公園の北西辺、「ホームベース」の左側に沿う木下坂の標柱。

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木下坂(きのしたざか)

北側に、大名木下家の屋敷があり、その門前に面していたために、呼ばれるようになった坂名である。

 

愛育病院前の信号から木下坂。左側が有栖川公園。

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