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墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

国指定特別史跡・常陸国分尼寺 茨城県石岡市

茨城県の古墳、寺社、遺跡、街歩き

前回のつづき。

常陸風土記の丘を堪能したあとは、4/18の石岡市街散歩で行けなかった場所を見て回った。

 

常陸国分尼寺 

常陸国分寺跡の北西800mほど、石岡市立府中小学校の北隣りにある。石岡駅からは歩くと40分くらいかかる。

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国分寺国分尼寺跡は全国に68ヶ所あるが、国の特別史跡に指定されている国分寺跡は全国で3ヶ所のみ、国分尼寺跡ではここが唯一。

特別史跡国分寺跡は常陸国分寺跡の他は遠江国分寺跡(磐田市)と讃岐国分寺跡(高松市)の2ヶ所。

 

野原にポツンと説明板が立っていた。

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国指定特別史跡 常陸国分尼寺跡

所在地 石岡市若松3丁目1番 指定日 昭和27年3月29日

国分寺国分尼寺は、天平13年(741)聖武天皇の勅願により、鎮護国家を祈るため国ごとに置かれた寺院である。

国分尼寺は、法華滅罪之寺といい、常住の尼僧10名を置き、寺院の財政は、水田10町によってまかなわれた。一般に国分尼寺国分寺より早く衰退したらしく、今日では、その遺構すらどおにあるのか不明なものが多い。

常陸国分尼寺跡は、一直線上に中門跡・金堂跡・講堂跡の礎石群が基壇上にあって保存され、全国的に見ても極めて貴重な遺跡である。昭和44年から四次にわたる発掘調査により、各建造物基壇の規模や南大門跡、北方建物跡、西及び北を限る溝跡などが明らかにされている。

発掘調査で出土した遺物の中には、瓦類や土器などがあるが、瓦類は常陸国分寺跡出土のものと同形ものもが多い。また土器の中では「法華」の墨書銘のある土師器が出土しており、法華滅罪之寺を証明する資料となっている。

昭和60年1月 石岡市教育委員会 石岡市文化財保護審議会

 

南側から。南大門・中門・金堂・講堂が南北一直線に並び、講堂の北に尼房(にぼう)あるいは食堂(じきどう)と見られる建物があったことが確認されている。

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 回廊を表している石畳のようだった。

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このあとに行った石岡市ふるさと歴史館で購入した小冊子「石岡の歴史と文化」(石岡市教育委員会発行)にあった航空写真ではじめて全貌がつかめた。

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中門の礎石のようだった。

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金堂跡のあたり。枝を支えられた桜が一本。

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北方建物跡には柱があった場所が表されていた。

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北方建物跡から南東方向。

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家族は車の中で待機。自分だけ足早に一回りした。

ほかに1組の親子が自転車の練習をしているだけで、静かな野原だった。

 

千葉県市原市上総国分尼寺跡も回廊が復元されていて素敵です。

 

 つづく。