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墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

石岡の街歩き・後編 茨城県石岡市

前々回のつづき。4/18の一日の話の最終回。

下は中町通りに面して大きな鳥居のある金刀比羅神社

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神社のとなりはNTTの建物だが、「国府」と書かれていた。

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こちらも中町通りの、現役の雑貨店。建物は普通だが店の雰囲気が第一級の昭和。

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●喫茶店四季 中町通りから駅側に一本はいった路地にある。

以下はパンフにあった記載より。

昭和5年に建てられた貸店舗。木造2階建ての看板建築。コリント様式風の柱頭飾りや屋根に立ち上げた煙突風の突起物など特異な造形を持つ。当初から貸店舗として建てられた数少ない貴重な建物である。

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逆サイドは板塀になっていた。2階の柱が下まで通ってなく不安定な感じもあるが、とても興味深い建物。

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こちらは「大経師」とあるので表装の店か。

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何気ないが味のある味噌屋さん。

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その先には駅前の地図に記載されていた鈴ノ宮稲荷神社があった。

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 詳しい説明板。

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鈴ノ宮稲荷神社

祭神は宇迦之魂命。稲荷神社の社名は「稲生り」から「いなり」となったものである。鈴ノ宮稲荷神社の創建年代は不詳であるが、江戸中期以降のことで、それ以前の文書は、「鈴の宮」と記している。常陸国府が置かれた時代に官人の交通のため駅馬や駅鈴が置かれた駅舎があった地といわれる。駅制では、官人が往来するときに駅便が鈴をならして通行した。駅制が廃絶したあと、この駅鈴を神社に奉納し、その神社を鈴の宮とした。

元治元年(1864)、尊皇攘夷の旗印に天狗党の田丸稲右衛門、藤田小四郎を始め、60余名が勢揃いして出発した由緒ある地である。

金丸の呼称は、府中六名家(税所、健児所、香丸、金丸、中宮部、弓削)の一つ「金丸氏」に由来する。

大掾氏(だいじょうし)との関わり

常陸大掾国香の守護神として尊崇された。大掾氏一族である税所氏が大掾氏鎮護の神として祭祀を執り行っていたと伝えられている。

◇エピソード~常陸大掾氏一族

天正19年(1591)佐竹義宣は、大掾氏一族の一掃を図る。行方・鹿島地方を中心に君臨していた「南方三十三館主」を太田城に招き、これをことごとく謀殺した。このように佐竹氏は豊臣秀吉の政権を背景として、常陸国内の豪族を鎮圧あるいは配下にして、領国の統一を図ったのである。 

平成21年2月 石岡市教育委員会

 

こちらは関東鉄道労働組合の現役の建物。

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すでに駅前に近い場所だが、古墳のような気になる木立があった。

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回り込んで入口に向かうと朽ち果てた空き家があった。

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帰りの電車では、石岡から土浦まではグリーン車(2階)に乗った。

常磐線から見た恋瀬川。奥にかかるのは愛郷橋。

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土浦駅に近づいたところでは、レンコン畑で作業する農家の方を何組も見かけた。

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以上で石岡編終了。

予想外に見どころが多い街で、民俗資料館や常陸国総社等、時間の都合で行けなかった場所も多かったです。再訪したいと思います。