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墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

長禅寺三世堂(百観音 御開帳) 茨城県取手市

4/18土曜日、取手駅東口から徒歩3分の長禅寺へ、特別公開を見に訪ねた。

3/29、4/5に続き、3回目の取手。街並みにも親しみが沸いてきた(?) 

 

参道入口の立て看板には「年に一度の御開帳 百観音大祭」とあった。石段を登ると境内では八重桜が満開だった。

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下記、お寺の由緒等はいただいたパンフから。平将門による創建と伝えられる。

大鹿山長禅寺と号し、臨済宗妙心派に属している。朱雀天皇の代の承平元年(931)に「平新皇将門相馬小次郎」が勅願所とし創建したと伝えられています。将門の没後は、「御厨三郎吉秀」という人物がひそかに守本尊の十一面観音を伝えましたが、荒廃が甚だしかったと言われています。承久元年(1219)に義門和尚を開祖として再興を計り、さらに「吉秀後胤織部時平」なる人物が「四間四面御堂」を再建したと伝えられます。江戸時代に入ると、慶安2年(1649)8月24日付で三代将軍徳川家光より寺領5石3斗を賜る朱印状の交付を受け、以後明治維新まで歴代将軍より朱印状を受けています。市街地の中にありながら境内は深山幽谷の趣を有し、本堂・山門・庫裏・三世堂・地蔵堂などの多くの堂宇を有し、また市内に残る石像遺物の約6%がここにあります。

 

三世堂の解説は前回訪問時のエントリに引用したが、内部は3層で内壁の壁龕に高さ2~30cmほどの観音様が百体並ぶ。各地の寺の本尊の「写し」で、「内訳」は1層目が坂東三十三ヶ所、2層目が秩父三十四ヶ所、3層目が西国三十三ヶ所。

 

靴を脱いで中に入らせていただく。内部撮影も自由だった。

入って正面の御本尊の十一面観音。

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 手前の横穴にお賽銭を入れられるようになっていたが、一つひとつにお賽銭を上げながら丁寧に各尊を拝まれている方もいらした。

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全国に5棟しか残っていない貴重な「さざえ堂」の遺構だが、こちらは、会津のさざえ堂のような二重螺旋構造ではなかった。

通路が2つに仕切られていて内側が上り外側が下りとなっていて、すべて一方通行で上がって降りられる。

2層目を回るときは、天井の梁を支える組みものを間近で観察できる。目の前で見ると迫力がある。

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どの層も平面プランは正面側に凹みがあるが残り3面はストレートな壁になっていた。

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現在の建物は宝暦13年(1763)に当時の住職、幻堂和尚によって建てられたものだそうだ。

一度に3エリアの巡礼を済ませられる、しかも計100体を収める建物をつくり、各地の本尊をレプリカするとは、相当卓越したプロデューサーだったのではないか。

 

Wikipediaでは「日本百観音」の項によれば、百観音のアイデア自体は長禅寺の幻堂和尚から200年以上遡るそうでした。

日本百観音(にほんひゃくかんのん)とは、西国三十三所坂東三十三箇所秩父三十四箇所を総合した日本を代表する100の観音巡礼である。その結願寺は秩父三十四箇所の三十四番水潜寺となる。

長野県佐久市鳴滝の岩尾城跡にある大永五年(1525年)銘の石碑に、「秩父三十四番 西國三十三番 坂東三十三番」と彫られており、これ以前に日本百観音巡礼が考案されていたことが判明している。

 

最上階には丸窓がある。奥は山門。

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八重桜の下では甘茶が振舞われていた。砂糖が入ているのかと思ったら「アマチャヅル」の甘茶。初めて味わった。

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丸窓からは、ひっきりなしに人が顔をのぞかせていた。

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