墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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高輪森の公園 東京都品川区

4月2日、通勤ルートを大きく変えて、朝早めに家を出て品川から大崎へ歩いてみた。

高輪口正面から西へ上る坂の途中に気になる公園があった。

品川税務署・国民生活センターの手前を右に入る。

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道を入って振り返ったところ。右上は国民生活センターの敷地。

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その先に、高輪森の公園があった。高輪と森との間には「・」を入れてもよいのでは。開放施設だが、10月~4月は7時~16時半、5月~9月は7時~18時。

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公園の説明板があった。朝香宮が、白金の庭園美術館の建物に移る前に住まわれていた場所だった。

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高輪森の公園の歴史と庭園遺構

高輪森の公園があるこの地は、江戸時代、薩摩藩島津家の下屋敷・抱屋敷でした。明治時代に入ると、政治家・後藤象二郎の屋敷となった後、宮家の邸宅として1947(昭和22)年まで使われます。園地は朝香宮邸の一角に当たるものと推測されます。1933(昭和8)年、朝香宮が白金台に転居すると東久邇宮が邸宅として使用しました。東久邇宮が皇籍を離脱した後は、宮内庁、大蔵省と管轄(現、財務省)と管轄が移り、1975(昭和50)年、大蔵省から管理を委ねられた港区が森の遊び場として区民に開放、2006(平成18)年には港区が財務省から用地を取得し、高輪森の公園を開園しました。

現在、園内には滝や流路などの庭園遺構が見られます。地形を巧みに用いた情緒ある庭園であったと推測されます。朝香宮時代、あるいは次の東久邇宮時代に造られたものでしょう。

今に続く地形やこれらの遺構は、高輪森の公園の歴史の一端を伝える貴重な遺産です。

 

今は案内図を見る限り、斜面に散歩道がついているだけの公園。

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はいってすぐの斜面下に立派な石組の庭園遺構があった。奥は滝が流れていたのだろう。何気ないので見過ごしてしまいそう。

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こちらは新し目の何かの洗い場だろうが、大きさ的に石室遺構のように見えた。

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木々の間の道を上っていくとベンチのある小さな広場があった。

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道は台地上とは連絡していない。プリンスホテルとの境に金網が巡っている。

時間帯のせいなのか、人の気配のない、タイムポケットのような場所だった。

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桜越しに見えるのは、ザ・プリンスさくらタワー東京。部屋の窓から桜を楽しめそう。

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 公園南側には京急が運営する「シナガワグース」、旧ホテルパシフィック東京が聳えている。

つづく。