吉高の大桜を見た後、近くの印旛日本医大駅のそばにある重文の茅葺寺社、栄福寺薬師堂(室町時代中期建立)を見に行った。
印旛中央公園から駅までは3kmほど、駅から栄福寺までは1kmぐらい。
お寺の前に駐車できるスペースはあるが、直前の道は車一台やっと通れる道だった。
敷地には熊野神社も並んでいる。薬師堂の正面に立つ一本柱は、善光寺の回向柱と同様のものだろうか?
以下は説明板より。
国指定重要文化財 栄福寺薬師堂 一棟 附 厨子一基・棟札一枚
所在地 印西市角田二
指定年月日 昭和29年9月17日
栄福寺の沿革は明らかでなく、厨子と本尊は印旛村鎌刈から勧請されたと伝えられている。しかし附に指定されている棟札には「寛正七(一四六六)年六月柱立、応仁三(一四六九)年霜月上棟、文明四(一四七二)年二月成就」と墨書銘があり、室町時代中期の建物であることがわかる。
正面側面共に三間単層の堂で、屋根は茅葺寄棟造である。正面階段部分の向拝は、江戸時代中期に設けられたものである。正面には桟唐戸が備えられ、側面の前一間は舞良戸、中の間は板戸、その他は縦板壁となっている。外陣は、鏡天井に極彩色で天女図を描き、内陣は来迎柱を立て、その前に極彩色で飾った須弥壇を設け、薬師如来像を安置した厨子がある。
県下でも最古の建立時代の明確な木造建築として大変貴重なものである。
平成3年1月31日 印西市教育委員会
参道脇には「ビンズル大師(左甚五郎一夜の作とあった)」がおられた。
以下はWeblio辞書「びんずる」より
十六羅漢の第一。阿羅漢果を得たが神通力をもてあそんで釈迦に呵責され、涅槃を許されず、釈迦の入滅後も衆生の救済にあたった。白髪と長眉の姿で示される(中略)
日本では堂の前に置き、これを撫でると除病の功徳があるという俗信が広まった。おびんずるさま。賓頭盧尊者。なでぼとけ。
善光寺にも、びんずるさんがあるようだ。
茅葺屋根は直線的な寄棟。柱や壁の朱、軒下の組物のカラフルな色が目立つ。
正面向拝の突き出した部分は江戸期の後補のようだが、つなぎ目の角が魅力的だった。
隅のカーブもきれいな曲線。
斜め後ろに熊野神社。神社のすぐ前に椎の巨木があった。
神社社殿の隣の広場には大きな桜の木もあった。
神社側、斜め後ろから見た薬師堂。
山林を寄贈された方もおられた。