墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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大日山古墳(岡神社) 茨城県取手市岡

前回のつづき。

3/29の日曜日、西取手の東漸寺・観音堂の特別公開を見たあとに、直線距離で2km北西の岡神社にある大日山古墳を目指した。お寺のある台地の北に降りると、広大な平地が広がっていた。

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左が台地上。マップによると平地の水路の先にあるので、さらに縁を降りていった。

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空が大きい。風情が感じられる小道。

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水路にかかる小さな石橋。

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分水の場所になっていた。おそらく正面の丘が目的地なのでフェンスに沿って進んだ。

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台地上への上り口で迷っていると、大きな地蔵菩薩に出会った。

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旧藤代町文化財指定彫刻の「地蔵大菩薩」と「野仏」

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旧藤代町文化財指定彫刻 地蔵大菩薩

このお地蔵さんは、舟形光背(249cm)立像(170cm)からなり、相馬日記に「仏島と名づけしは、かたへに地蔵の石像(いしのみかた)、又は何くれの仏の石像たてればなり」、と仏島の名のいわれがある。

建立は寛文6(1666)年、順海、祐海、順永の各法印権大僧都の名が刻まれる。

地蔵菩薩が、特に子育てにご利益があるといわれることもあろうが、地蔵像は如意輪観音像と並んで目立って多い。その中でも光背をつけた地蔵は、大きさも県下でも最たるものである。

 

旧藤代町文化財彫刻 野仏

名もない野仏である。舟形光背(78cm)、座像(55cm)で藪に囲まれた岩屋のたたずまいである。

筑波山に「弁慶の七戻り」という個所がある。屏風岩の支える屋根蓋の巨岩が今にも落ちそう、さすがの弁慶も二の足・三の足を踏んだという。この仏様のすまいもまさにその通り、地震はおろか、咳一つでも崩れそうな所に、屈託なげにおはす。

刻字を辿ると、延命寺法印順海、延宝8(1680)年とある。座像は立像に遅れること14年である。

延命寺何何とは、ここが延命寺の所管で、座像の後は丘の名残りの一角であり、延命寺の住侍の墓と思われるものも数基がある。

昭和8年まで丘であったといわれる。

昭和62年1月 取手市教育委員会

 

さらに奥へ行くと上り口があった。落ち葉が積もる、車は入れない道。

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人気のない道を進んでいくと、ちょっとした広場に出た。

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その先には、お椀を伏せたような盛り上がりと社があった。

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説明板もあって到達を確認できた。

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茨城県文化財指定史跡

大日山古墳 昭和14年2月1日指定

この古墳は岡台地の先端に造営された古墳で、高さ約2.8m、底径18mの美しい円墳である。この古墳は未発掘の古墳で副葬品等は不明である。かつてこの付近から各種玉類・鉄鏃等が発見されたが、築造年代は古墳時代後期でないかといわれている。

中・近世になって大日信仰が盛んになると、この墳丘に種々の石碑や石造仏の類が建てられたので、大日山の名はそれによってつけられたのであろう。現在この墳丘上に岡神社が創建されており。

昭和61年8月 取手市教育委員会

 

社殿の正面にまわると台地下からの石段があった。台地の先端に位置するので、木々の合間からの遠望が効く。

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墳丘上の社殿に続く石段。

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石段の左手には「十三夜塔」があった。

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さらに墳丘の周囲を石塔が巡っていた。

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社殿の裏から見た、墳丘の麓のちょっとした「広場」。

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石段の最下部から。踏み幅が狭い石段だったので慎重に降りた。

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麓には池田屋さんという食品工場(もやし製造?)があった。

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つづく。