3/17の午後、近くで予定があったので、終わってから根津美術館へ寄った。
「根津美術館前」の信号側から展示棟入口へのアプローチ。
以下はWikipediaの根津美術館 より抜粋(若干要約、付記あり)
東武鉄道の社長だった初代・根津嘉一郎の遺志により1941年(昭和16年)に開館。藤井斉成会有鄰館、大倉集古館、白鶴美術館、大原美術館などとともに、戦前からの歴史をもつ数少ない美術館のひとつ。
敷地は河内国丹南藩藩主の高木家の下屋敷があった場所で、1906年(明治39年)に根津嘉一郎が取得して数年がかりで造園した私邸跡。
根津コレクションの特色はその質の高さとともに幅の広さにある。戦前の実業家の美術コレクションは茶道具主体のものが多いが、根津コレクションは、茶道具もさることながら、仏教絵画、写経、水墨画、近世絵画、中国絵画、漆工、陶磁、刀剣、中国古代青銅器など、日本・東洋美術のあらゆる分野の一級品が揃っている。収蔵品は約7000件。所蔵国宝7点には「那智滝図」や「燕子花図屏風」が含まれる(常設展示ではない)
尾形光琳による「燕子花図屏風」は2015年は4/18~5/17まで、熱海のMOA美術館が所蔵する「紅白梅図屏風」(尾形光琳筆、国宝)とともに展示される。
現在の展示棟は、建築家・隈研吾の設計で2009年(平成21年)に竣工した。
アプローチを抜けるとガラス壁の入場口。
若干の駐車スペースもある。駐車場の後ろには「はてな」さんが入居するビル。
現在は「コレクション展 救いとやすらぎのほとけ 菩薩」展を開催中。大人1000円。
収蔵作品のみでこれだけの展示ができるところが根津コレクションの凄さ。以下は公式サイトから転載。
菩薩(ぼさつ)とは、悟りを得たにもかかわらず、あえて人間界に降りて人間の苦楽に向き合い、救済の手をさしのべるほとけのこと。聖観音(しょうかんのん)、千手観音(せんじゅかんのん)など多くの種類をもつ観音菩薩、地獄に堕ちた者をも救ってくれる地蔵菩薩、釈迦如来の両脇にひかえる文殊菩薩(もんじゅぼさつ)や普賢菩薩(ふげんぼさつ)など、やすらぎを求める思いは多様な菩薩の造形を作り出しました。母のように、慈愛に満ちた、時に厳しい眼差しをなげかける菩薩の表現には、人々の切なる願いが込められています。
根津美術館の仏教美術コレクションから、菩薩を表した飛鳥時代から江戸時代の彫刻・絵画、約40件の優品をご鑑賞ください。
平日の午後でかなり空いていたが、自分の方にじっくり見る余裕がなくて菩薩様に申し訳なかった。そんな「チラ見」状態だったが、飛鳥時代・7世紀の観音菩薩立像(重要美術品)には古代風の面長の顔立ちに思わず引き寄せられた。
時間があれば、2階の古代中国の青銅器(常設展示?)も必見です。
写真撮影が可能なのは入口からのみ。大きな窓から光が差し込んで明るい。
入口正面に庭へ向かう扉がある。
出てすぐの芝生。芝生広場になっているので展示棟に明かりが差し込む。
巨大な青銅の燈籠。その先にはカフェ(NEZUCAFE~似た名前を思い浮かべる)があるが、そのまま台地下へ歩いた。
根津嘉一郎が取得して数年がかりで造園したという広大な庭。台地の端の高低差を巧みに利用している。
振り返ると、展示棟の大屋根と「はてな」のオフィス。
ぽれぽれとうさんさんの記事には、オフィスから美術館側を見た写真も紹介されています。(借景を大活用されているとは、さすが京都の会社だと思います)
展示棟から15mほどの高低差を降りていくと、台地縁に沿って横に広がる池があった。
朽ちかけた優美な舟。
敷地面積(建物を含む)は、2.1haもある。
歩道に沿って歩いていくと4つある茶室のほかに、仏像や石塔などに出会える。
東端に鎮座する天神様。
きれいなピンクの椿があった。
16~17世紀朝鮮の待童像。
南端の立ち入り禁止になっている先は、かつての美術館入口。
その近くに端正な薬師堂が移築されていた。
迫力ある屋根瓦。
軒下には掘りものも。
薬師堂の横に二十六夜塔。
ユーカリが丘で初めて知った月待塔の話。
巨大な五輪塔もあった。
幹の直径が1m以上はあるけやきの巨木。
水があると高低差が活きる。
30分ほどの短い時間だったが、かなりのリフレッシュになった。