墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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西品川一丁目 ”一時的廃墟” の街(2015/2時点)

こちらのエリアは「新しい街づくり建設着工前の解体現場」なので「今だけ廃墟」

 

半年前に歩いた場所の再訪だったが、いろいろ変化があった。

ぼこぼこだった国際自動車教習所跡の地面も平らになっていた。

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あと一週間ほどで建築着工。3年後に地上24階、敷地面積約2万㎡の巨大なビルが立つ。

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ふと見ると、建物解体中の一角もあった。 

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歩いて行くと旧国際自動車教習所の敷地囲いの外側でも、解体工事が行われていた。

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「小さな十字路」で隣り合うこちらのアパートも取り壊し間近のようだった(ここは一体開発エリアではないように思われるが)

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 上記の建物の玄関側。

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玄関口の張り紙。JR東日本の社員寮で閉鎖して2年経っていた。

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来た道を「小さな十字路」まで戻り、半年前に歩いた坂を上って行くと、街全体(西品川一丁目2番地)が取り壊され始めていた。

洗濯物が干されていたりしてまだ住まわれているような家も、エリア内ところどころにあった。

 

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解体が終わった場所からは、台地下とその先の新幹線高架を見渡せた。 

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このときは工事作業の合間だったようで、何カ所もある解体現場には誰もおらず、静かで不思議な雰囲気だった。

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通りを隔てた3番地でも解体が進んでいた。

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解体現場の「中」を歩く。

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「町工場」的な建物ではさまざまな配管がむき出しになる。

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解体が終った場所だが、左右の家は生活感が溢れている。

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こちらは年季の入ったアパート。

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内側が外側になった建物。

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ひとつひとつの建物を囲う意味があるのかなと感じられた。

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ここ台地上のエリアも22階建て、1万㎡の共同住宅が建つようだ。

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着工予定が2015年3月末、(完了は台地下と同じく2018年3月末)とあるので、発掘調査は行われないのであろうことがわかった。

かつては海に面していたであろう台地端であり、700mほど北西で同様の台地先端にある居木神社敷地からは縄文遺跡が出土しているので、当然遺構はあるようにおもうのですが・・・