前回のつづき。
梵天塚バス停から北方向に向かって歩くと、周囲が住宅地から里山の風景に変わった。こちらは農家の入口。道の左側、集めた落ち葉を燃した跡から、焚き火の残り香が漂っていた。
その入口の立木に縛り付けてあった藁細工。小さな蛇のようなので「辻切り」という厄除けだろう。
そのまま進むと急に開けて住宅地と親水公園が、その向こうに島のような木立の丘が現れた。
丘の麓に鳥居が2つ。こちらは道祖神で祠だけ。
こちらは参道がついた鳥居。浅間神社とある。
途中で道がわかれ、高い方へと登っていった。
すると見事な木彫りのある本殿の裏手に出た。
八社大神という神社だった。拝殿は至ってシンプル。
説明板もあった。
八社大神の歴史
およそ500年前(室町時代後期)の井野周辺は、関東に勢力を築いた桓武平氏の流れをくむ千葉氏の勢力下にあり、印旛沼に面した臼井城を千葉市の一族である原氏が治めていました。八社大神が鎮座するこの台地上にも、臼井城の支城として築かれたと推測される井野城があったとされ、発掘によって城の遺構が確認されていることから、八社大神は城の守護神として創健された可能性があります。
元々は十二柱の神々を祀り十二社大神と称していたとされますが、後に四柱の神々が他村へ分祀され、八社大神になったと伝えられます。境内には、江戸時代中期の年号が刻まれた石灯籠等が確認されており、古くから地元の人々に崇められてきました。
井野の守護神である八社様に折に触れてご参拝くださり、御祭神のご加護を頂き、心安らかな毎日をお過ごし下さい。
八社大神の御神徳
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台地上の鳥居から。背面が表側の石段。
左に階段をのぼると摂社(末社?)が。
そしてその背後は、まさに曲輪跡という風情の窪地。「縄張り図」はあるのだろうか。
一旦境内の外に出て、台地周囲を回る。左手のイオンの裏手がユーカリが丘線「中学校」駅。
そのまま進むと、土塁のような場所を乗り越える。
土塁跡あたりから見た神社裏の城跡地。結構うねうねしている。
上記の背面の大型マンション。
その右手には親水公園が広がる。
パノラマ写真。
宮の杜(みやのもり)公園 春は散歩に気持ちよさそう。
つづく。