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墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

西光院 吉田神社 来迎院阿弥陀堂 佐竹寺 茨城県常陸太田市

茨城県の古墳、寺社、遺跡、街歩き

前回のつづき。

星神社古墳を訪ねた後、「常陸太田文化財」のパンフにあった薬師如来像(平安時代後期:重要文化財)の写真に惹かれ、直線距離で6kmほど北西にある西光寺に向かった。県道62号を上がって途中で細道に入りなんとか迷わず到着。

 

・西光院

仁王門の向こうの薬師堂。

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仁王像の吽像(室町期)

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ぽつんとある宝蔵?本堂? 施錠されていた。

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説明板があった。

西光寺の文化財

西光寺は真言宗豊山派の寺院であったが、明治時代には無住となり、大正12年(1923年)の火災で本堂・薬師堂などが焼失してしまった。本尊の木造薬師如来像(国指定重要文化財)についてはその際に選び出されたが、光背の一部が焼損してしまい、木造仁王像(県指定文化財)も手首が焼損したといわれている。

木造薬師如来坐像(写真)は高さ143.7cm(台座を含むと290.7m)で、九重の蓮華座に座し、背中には飛天のつく光背がある。平安時代後期の作とされ、ふっくらとした丸みのある顔や、浅く彫られた衣の文様が、定朝様と呼ばれる当時の作風を良く表している。以下省略。

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あとから調べたら毎10月20日前後の土日で公開されている模様。

写真でみるとバランスのとれた堂々とした体躯。

木造 薬師如来坐像|茨城県教育委員会

2015年の探訪予定に入れました!

 

西光寺の近く(真南800mほど)にあった神社。村道の突き当たりにあって思わず立ち寄った。

吉田神社

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鳥居の奥に石段が誘う。 

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石段の上の社殿。周囲の円周上に末社摂社?)が取り囲む。これは墳丘上の雰囲気。

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拝殿の後ろには本殿もあった。

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そのあとは、パンフにあった2つの茅葺き屋根の寺を巡った。

・来迎院 阿弥陀堂楼門

久米小学校の南西200mほどの高台にある。

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茅葺きの堂々とした屋根。

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軒下の二重の垂木。梁には宝暦10年(1760年)の墨書が残っているそうだ。

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本堂の阿弥陀堂。平面プランは正方形、屋根は宝形造。

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大型だが、阿弥陀堂の特徴(正方形の平面、宝形造の屋根)をきちんと踏まえている。


 

屋根の、繊細なカーブ。

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説明板もあった。

来迎院の文化財

来迎院は光明山安養寺と号する天台宗の寺院である。江戸時代初期には、この地に貴富山阿弥陀安楽寺という真言宗の寺院があったが、住職が罪を犯して追放されたことで廃寺となった。その後、天和3年(1683)、大洗神社の別当寺院であった大洗山普賢院が、水戸藩神仏分離政策によって安楽寺の跡に移り、元禄5年(1692)には、現在の名称に改められている。

本尊で、県指定文化財の木造阿弥陀如来像(写真)は、像高158.3cmの漆箔の寄木づくりで鎌倉時代の作と考えられている。

本堂と楼門も県指定文化財で、享保3年(1718)の建築の本堂は8.5m四方の正方形の茅葺きの建物で、お堂と回廊を一体にした堂宇造りという様式である。仁王像が入る茅葺きの二層建築の楼門は、梁に「宝暦十年」(1760)という墨書きが残されている。常陸太田市教育委員会

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・佐竹寺 国指定重要文化財

来迎院の南東2.5kmほどの場所にある。

楼門には鬼瓦が祀られていた。

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重要文化財の本堂。迫力ある茅葺き屋根

午前中に参拝すれば、光のあたる本堂が撮れると思われる。

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説明板

本堂は天文15年(1546年)の再建。

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狛犬?灯籠?は壊れたままだった。

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分厚い屋根を太い垂木が支えていた。

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堂内は千社札が隙間なく貼られていた。

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佐竹寺本堂|茨城県教育委員会

 

2014年最後の更新となります。

ブログを公開して1年、多くの方に読んでいただいて励みになっております。

拙文、お読みいただき、誠にありがとうございました。

来年も続けていきたいと思っておりますので、どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。