前回のつづき。
主墳(1号墳)の梵天山古墳を見学した後に、説明板にあった周囲の古墳をいくつか探訪した。
周囲の道は細かったので、お寺の駐車場に停めさせていただいた。
まずは道路沿いでわかりやすい円墳の阿弥陀塚(2号墳)
手すりのついた上り道がついている。
墳丘上は墓地になっていて足元には砂利も敷かれていた。
麓の林の中からだと円墳の形がよくわかった。
そこから3号墳にいたる小道を探したがわからず、そのまま道を下りきったら台地縁の崖線に出た。
「島の百穴」の説明板があった。
島の百穴 昭和28年7月9日 県指定
百穴は、古墳時代後期(西暦600年~700年頃)に岩の崖面に横穴を掘り込んで造られた横穴墓で、横穴古墳ともいわれる。
横穴は後期古墳にみ(られる)横穴式石室をまね、玄室(墓室)、羨道、羨門からなる。玄室の平面は長方形や台形で、断面はカマボコ型、ドーム型、屋根型、台形型等があり、中には棺座を設けたものもある。通常は羨門を石等で閉鎖しておき、家族墓として使用された。百穴は江戸時代にはすでに知られ、「水府志料」によると昔は40~50基くらいあったとされ、居住性のよいことから穴居跡とみられていた。現在は60数基が確認され、梵天山古墳を主墳とする一大古墳群の一部をなしている。常陸太田市教育委員会
説明板の場所から道が2本ついていたので、まずは崖を上っていく道を辿った。
振り返ると田園地帯が広がる。
道の途中、崖下に向かって陥没穴のようなものがあったが、横穴墓のものかはわからなかった。
そのまま崖上まで戻ってしまった。
林の中を進むと右手に「大きな小山」が見えてきた。これが3号墳の高山塚古墳のはず。埼群古墳館さんのサイトによれば、推定直径77mの大円墳になる。
上り口がわからず、藪の中をいくと中腹に祠があった。
標柱等を見つけることはできなかった。墳頂付近の写真はボケてしまった。
墳丘を降りて、主墳の案内図にあった富士山塚古墳の方向へ向かってみる。密生する木々を通して盛り上がりが見えた。
富士塚古墳には標柱があった。ここでもシャッターを押すタイミングがずれてしまった。ちょっと迷い気味で落ち着きがありませんでした。
墳頂には祠があった。竹箒があるので大切にされていることがわかる。
崖下に下る道があったので、そのまま行くと平地に降りた。先ほどの百穴の説明板は正面奥。
崖沿いに歩いていくと、ぽっかり開いた穴があった。
明かりも差し込んでいて中も見えたので、安全を確認し、はいらせていただいた。
カマボコ型の天井。奥は立てるほどの高さがある。
がりがり引っ掻いて壁面・天井面を整えたのだろう。
中から見たところ。
説明板には居住性のことが書かれていたが、ちょっと住むには狭いし火が焚けないのは厳しいだろうと思った。
主墳の案内図では周囲に他にも古墳があるようだったが、少し離れた星神社古墳へも行きたかったので、別の機会とした。
なお「埼群古墳館」さんのサイトでは周囲の古墳も網羅されていて、改めてそのお仕事の深さに感動しました。
つづく。