前回のつづき。
建築物の説明板。建物の建設費を寄付した梅津福次郎氏は常陸太田市出身で、23歳で函館に渡り海産物問屋を営んで「その誠実な人柄と持ち前の商才で」大成功した。
大正末期から昭和初期にかけ、梅津会館をはじめ、久昌寺、太田高等女学校、西山修養道場、若宮八幡宮などにも寄付をした。
ヤフー知恵袋によれば昭和初期の1円は今の2000~3000円のようなので、当時の3万5千円は、現在の7000万円~1億円程度ということになる。
館内の展示では、函館の昭和10年竣工の3代目店舗(2度、大火で焼失)の写真もあった。
なんとこちらの建物は函館で健在。
地元発見伝が終了したので、ストリートビューの画像の埋め込みをやってみた。
1階展示室の奥には、小さいながらも考古資料展示があった。
縄文時代の遺物の展示。数は少なくても厳選されているように思える。
上記の写真には12000年前の石器が含まれているはず。
弥生時代の展示も。
十王台式土器とは先日の講演会で話題になった、茨城県のこの地域特有の弥生式土器。弥生時代から東京低地との交流があったことが出土した土器から推定される。
下の写真の右上の破片が十王台式だと思いますが、確信はありません。
古墳時代の遺物。
このあと探訪する予定の星神社古墳の遺物も見られてよかった。
金は時間を経ても金のまま。
勾玉や切子玉も。
刀装具や馬具も。
鉄鏃も数点。
人物埴輪や馬の埴輪も所蔵しているようだが展示はなかった。
館内には当館建物の青写真(設計図)もあった。青写真の寿命の長さが意外だった。
こちらの資料館では「常陸太田市の文化財」というパンフ(無料)があり、見やすい地図と文化財の写真がコンパクトに紹介されてる。
資料館の位置は市役所の左の45番。この日の目的地、梵天山古墳も左下62番で載っていた。展示物の身隠山横穴墓も探してみたがわからなかった。
常陸太田市全体は南北に長く(約40km)、面積は372km²で茨城県最大の自治体。千葉県下最大の市原市368km²より広く、山手線内の約6倍になる。
資料館の周囲の地図「鯨ヶ丘ウォーキングマップ」もいただいた。
折角なので、古墳に向かう前に周囲を散歩してみることにした。
つづく。