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墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

船橋大神宮(意富比神社) サールナート 西福寺

千葉県の寺社、遺跡

前回のつづき。

本殿西側の鳥居から入った船橋大神宮の境内。左は神輿庫。

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 上記の写真の右に、すぐ本殿がある。下は神門でその先が拝殿となるが、お賽銭箱は門の下にあったので、こちらで拝ませていただいた。

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下記は意富比(おおひ)神社、通称船橋大神宮のサイトより転載。

時代ごとに時の人が訪れている。

景行天皇40年、皇子日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国御平定の折、当地にて平定成就と旱天に苦しんでいた住民のために天照皇大御神を祀り祈願された処、御神徳の顕現がありました。これが当宮の創始であります。
 平安時代、延長5年(927)に編纂が完成した『延喜式』にも当宮が記載されており、式内社としての歴史を知ることができます。
 後冷泉天皇の御世、天喜年間(1053〜58)には、源頼義・義家親子が当宮を修造し、近衛天皇の御世、仁平年間(1151〜54)には、船橋六郷の地に御寄付の院宣を賜り、源義朝が之を奉じて当宮を再建し、その文書には「船橋伊勢大神宮」とあります。
 鎌倉時代、日蓮聖人(1222〜82)は宗旨の興隆発展成就の断食祈願を当宮にて修め、曼荼羅本尊と剣を奉納されました。
 江戸開府の頃、徳川家康公(1546〜1616)は当宮に社領を寄進、奉行をして本殿・末社等を造営し、以来江戸時代を通して五十石の土地が幕府から寄進され幕末に至りました。
 近代に入り、明治天皇陛下(1852〜1912)には習志野三里塚行幸の都度、勅使を以て幣帛料を御奉奠遊ばされました。
 往時の諸社殿の景観は、江戸時代末期の「江戸名所図会」に窺えますが明治維新の戦火のため焼失しました。
 その後、明治6年(1873)に本殿が造営されたのを初めとして、大正12年(1923)、昭和38年(1963)、同50年(1975)、60年(1985)に本殿・拝殿・末社・鳥居・玉垣・参道に至るまで随時造営がなされ、県文化財指定の灯明台の修復なども経て、今日に至っております。

 

本殿の東側の丘の上に千葉県文化財指定の灯明台がある。手前は、日清・日露・”大東亜”戦争の戦没者慰霊碑。

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木造瓦葺の3階建て高さ12mの灯明台。明治13年(1880)に地元の漁業関係者が建設。 正月3ガ日のみ公開される。

何年か前に初詣で来た時に中にはいり、狭い階段を上がって最上階に行ったはずだが、どんな眺めだったかの記憶がない。

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詳しい説明板も。

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県指定文化財(有形・民俗) 昭和37(1962)年5月1日指定

灯明台

かつて、船橋沿岸を航行する船は意富比神社(船橋大神宮)の境内にあった常夜灯を目印にしていました。

この常夜灯は慶応4(1868)年の戊辰戦争で社殿とともに焼失しました。明治13(1880)年に現在の灯明台が再建され、明治28(1895)年に停止するまでの間、政府公認の私設東大として利用されました。

標高27mの丘の上にあり、浅間神社のあった場所に建てられたので、「浅間山灯明台」といいました。

建築様式は和洋折衷の「擬洋風建築」で1階・2階は和風、3階の灯室が西洋式灯台の意匠を取り入れた六角形のつくりになっています。

光源は石油ランプ3基に錫製の反射板3基を組み合わせ、光の到達距離は約6海里(約11km)あり、その当時の最新式の設備でした。

船橋市教育委員会

 

本殿と灯明台との間の道。

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平成27年10月竣工予定で、極彩色の常磐神社(船橋東照宮)が造営予定。

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門の上から奥。鳥居の先で建築工事中だった。

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こちらは灯明台の麓の大鳥神社

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神門の前から一の鳥居方向の参道。

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これは途中の二の鳥居。伊勢神宮式年遷宮に合わせて昨年(平成26年)造替。

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境内には立派な土俵もあった。

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下記はWikipediaより転載。由緒あるが激しいらしい。

船橋大神宮の奉納相撲(10月20日)

秋の例祭として行われる奉納相撲の歴史は古く、1590年(天正18年)に行われた徳川家康の上覧相撲に起源を持つ。当時、家康は下総で時々鷹狩りを催し、宿舎として船橋に離館が設けられていた。(現在の船橋市本町4丁目に船橋御殿があり、「御殿地」と呼ばれていた。跡地は船橋東照宮である)ある日、家康が相撲に戯れていた子供の姿を見てこれを賞し、信仰深かった船橋大神宮に奉納したものが起源と言われ、その後幕府自ら勧進元となった、由緒ある素人相撲である。

神宮の素人相撲は、強者が集まることで知られ、今でも東葛出身力士の育成に貢献している。また、少し前までは、漁師をはじめとする熱狂的な見物客が集うことでも有名で、判定に不服を持った観客が物を投げたり、行司をボコボコにし、万祝を着た若者衆と衝突するような光景も見られ、大いに盛り上がったという。

 

下が一の鳥居。京成電鉄大神宮下駅で下車するとこちらの正面側に出る。

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そのまま神社の西側の通りを大神宮下交差点の方に戻る。振り返っての一枚。

心なしか、自分の撮る写真がまるでストリートビューそのもののような・・・ 

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ここに気になる行列があり、つられて並んだインド料理店「サールナート

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2人テーブル4卓、4人テーブル1卓の小さな店で、並ぶのは必至のようだが、カレーも焼きたてのナンもとても美味しかった。食べログでも3.77点の高評価。

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お腹を満たしたところで船橋大神宮の北隣の西福寺という小さなお寺に寄った。

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こちらは四国八十八ヶ所巡り。「お願い」と一緒に「南無大師遍照金剛」と唱えて88の石をさわって巡拝する。

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 やってみたら結構時間がかかった。リアルな八十八ヶ所参りは大変だろうと思った。

 

境内には古い庚申塔が残っている。

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庚申塔の向かいの地蔵堂。「冨久福地蔵(ふくふくじぞう)」というそうだ。

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現代風の6尊だった。

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つづく。