暖かな日曜日(12/21)、車検に出していた車をとりに行くついでに、船橋駅南側を夫婦で散歩してみた(そのあと古墳も)
右奥がJR船橋駅、目の前が京成船橋駅(2006年に高架化)
上の位置から南側、国道14号(千葉街道)に向かう道。
上記の位置には昔ながらの金物店があった。
「買い物カート(通販サイトの検索用語では歩行補助車、高齢者用手押し車とか様々でした)」が一番の売れ筋のようだった。
仲通り商店会のサインのある小道にはいる。いろいろな店があった。
なんと畳屋さんも。店先に畳表の見本が並ぶ。
韓国料理の店が多かった。テコンドー教室も。
本町通り商店街を船橋大神宮方向に進む。
老舗和菓子店のひろせ直船堂。風雪に耐えて頑張っている。立派な看板。
大正7年の建築のようだ。こちらのブログに詳しく紹介されている。
江戸時代創業の森田呉服店。瓦屋根と格子窓が素晴らしい。
暖かそうな半纏(はんてん)が店先にあった。5000円代。
この2軒は通りを挟んで向かいに建っている。末永く残して欲しい貴重な建築遺産だが、文化財指定・登録はない模様。
位置は異なるが、船橋市のHPから昭和12年(1937年)の本町通り中央付近。
ふなばしプラス|ふなばし写真館|船橋の歩み 市制施行(昭和12年)~昭和39年
御祭神は田心姫命、市杵島姫命、多気津姫命の三女神の海の神。市杵島姫命は「市」の守り神ともなっている。地元では「弁天様」とも呼ばれてきたそう。(石碑解説より)
懐かしい、昔ながらの本屋さん。新刊を扱っている。
説明板によれば「船橋」の地名の紀元。
由来
古い伝説によれば、船橋という地名の起りは、この海老川の渡しに由来する。古代の英雄が東征の途次、此地の海老川を渡ることが出来なかったとき地元民が小舟を並べて橋の代りとし無事向こう岸に送り届けたという。
海老川は長く住民に親しまれてきた。春堤に風吹けば花蝶遊び、秋淵に水澄めば魚鱗踊るといった時代を経、近年の都市化の中で浸水被害が繰り返され、流域住民にとって”恨みの川”となったが、今、市制50周年の記念すべき年に当り、国、県の御協力を得、市の総力を結集し、河川及び橋梁を改修、”希望の川”として蘇ることとなった。
昭和62年7月25日 船橋市長大橋和夫撰文
古本屋さんもあった。局所的に神保町の雰囲気。
そして船橋大神宮の側面入口に着く。
鳥居がはいった写真を撮り忘れたので、ストリートビューから転載。
昭和15年(1940年)の写真(ふなばしプラス/ふなばし写真館、既出より)
上記の左の道は東金方面に一直線に向かう、家康の鷹狩りの道・御成街道に続く。
22km先には将軍の休息所だった「御茶屋御殿跡」がある。
お茶屋は船橋にもあったが(さきほどの厳島神社のすぐ北)、この日はそこまで考えて行動していなかったのでまた別の機会に。
船橋の御殿跡は下記のブログに詳しく紹介されている。
鳥居の前からもときた道の方向。先の高架は大きなカーブを描く京成線。
つづく。