墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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京成西船駅のホームにある「葛飾の地名とその由来」

12/14の日曜日、一日がかりの歴史講座に出かけた。

会場は葛飾区郷土と天文の博物館。

JR西船橋で京成西船に乗り換えて、上野行きに乗り、お花茶屋駅へ。

京成西船駅ホーム上に気になる看板があったので、帰りに撮った。

よくよく読んだら、この日の講座に深く関係する「葛飾」という地名についての興味深い説明だった。

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葛飾の地名とその由来

「葛飾」は、万葉集にも載るゆかしい地名で、葛(くず)が繁茂した豊かな土地の美称であり、昔の「下総国葛飾郡」一帯(千葉、茨城、埼玉、東京の各都県にまたがる)の呼称でもあった。

この辺りは、平安時代の書、和名抄にも「葛飾郡栗原郷」と記され、駅の東方、印内台地上の遺跡からは、古墳時代より奈良平安時代にかけての集落跡が見つかり、西側、東中山駅寄りの本郷台遺跡からは、奈良平安時代の墨書土器二百余点が出土して注目された。

これらは古くからこの地域が、葛飾郡の中でも主要な土地であったことを物語っている。なお、「東京都葛飾区」など江戸川西岸地方は、中世頃から「葛西領」といわれたところである。

降って明治22年の町村制施行にあたって、近隣八か村(西海神、山野、印内、古作、寺内、本郷、二子、小栗原)が合併し、郡総社として一千年の歴史を持つ、「葛飾大明神」の社号をとって村名を「葛飾村」とした。

葛飾村は昭和6年に「葛飾町」となり、昭和12年4月合併して船橋市となった。

その後、葛飾町役場のあった大字寺内が船橋市「葛飾町」となり、昭和41年の新住居表示実施まで続き、今も一部残っている。

この駅は、大正5年12月京成電鉄が船橋まで延長した際、その地名をとり「葛飾駅」として開設した。永く親しまれた駅名も駅周辺地域が近年、主に「西船」の名称に一般化したことなどから昭和62年4月1日「京成西船」と改称した。

駅付近には、村名の基となった「葛飾神社」をはじめ、戦後、永井荷風の随筆「葛飾土産」で有名になった史跡「葛羅の井」、万葉の歌に因んだ「勝間田の池」(現、勝間田公園)、江戸時代初期の地頭成瀬氏および、尾張犬山城主となった成瀬氏の墓所のある「宝成寺」がある。また、伝統ある市立葛飾小・中学校もある。

数々の史跡、伝承を訪ね、山蔭のの古道をたどれば、四季折々の美しい自然に恵まれたかっての「葛飾の里」を偲ぶことができる。

変貌著しい時代、ここに古い由緒を持つ「葛飾」の沿革を記す。

昭和63年4月1日

 昭和62年(1987年)までは葛飾駅だったとは。「近年西船の名称に一般化したから」なんて、もったいない。

葛飾区は今は東京都、しかも23の特別区内だが、かつては下総(千葉)国内だった。(隅田川以東なら、足立区、江戸川区、墨田区、江東区も!)

下総国の東の端が葛飾(広域)で、隅田川が武蔵国との国境、2つの国を結んだ橋だったから両国橋。

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何度か来たはずの西船駅なのに、今までこの、大事な看板に気がつかなかった。

まだまだです。