墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

「日本の樹木」 舘野正樹著

日光植物園・園長の著者が自ら撮った写真が、とても印象的な樹木図鑑。

カラー新書 日本の樹木 (ちくま新書)

カラー新書 日本の樹木 (ちくま新書)

 

 表紙の裏の内容紹介のところに「自然環境のなかで成長し本来の樹形を写したカラー写真をとおして、緑樹の影のしたたかな生き残り戦略について楽しく学びます」とありました。

 

日本だけで見ても樹木の種は千種近くになるそうで、とても覚えられませんが、著者は「樹木の生き方、寿命の戦略」でわかりやすく類型化されていました。

下記に、まとめさせていただきます。

「樹木は、それぞれの種がもつ特徴を活かし、子孫を残して種として生きながらえようとしている。その寿命は、地滑りなどの「物理的攪乱」によるものと、菌類の侵入で木部が腐ってしまう(そして折れてしまう)ことによるもので決まる。

常緑の高木が採用するのは長期戦略(仮に200年以上)であり、安定した地盤で菌類の攻撃に耐える体、つまり体積あたりの密度を高い幹や根とするために、ゆっくり成長する。

一方で、落葉の高木は中期戦略(仮に50年から200年)を採用し、密度は下がる(つまり長期は望めない)が、常に明るい環境で効率的に光合成をするために耐久性には劣るが薄くて広い落葉性の葉で速く成長する。

その間、同じ林床の常緑樹は落葉樹の影で大きくなれないが、晩秋・早春もじわりと成長を続ける。

落葉樹が菌類の侵入で躯体が腐って倒れると、その陰でじっと待っていた常緑樹が成長してその場を占めるが、やがて常緑樹も倒れると、ぽっかり空いた広場で落葉樹が成長し始め、その下で常緑樹が機を窺う、ということが繰り返される。

もう一方、河川敷など不安定な環境で育つ落葉の中低木は50年以下の短い寿命しか期待できないが、明るい環境でさらに落葉高木より小さな体積密度で速く育ち、小さなうちから花をさかせ実をつける。

植物もにも、できるだけ多くの子孫を残すための一生のスケジュールがあり、幼年期には自分の体を大きくすることに専念し、ある程度育ってから繁殖に注力するので、一生が短い植物は生育期間が短く、長命の場合はそれが長くなる」

(スギ花粉の問題は、長命で幼年期が数十年あるスギが、戦後一斉に植林されて一斉に幼年期を終えたことにあるそうです)

 

小学校の理科では「植生の遷移」では、最後に「極相林」になって常緑樹で安定する、と習うと思いますが、実際はさまざまなパターンがあるのでしょう。

 

興味深かったのは、「スダジイ」の項で、そのドングリがおいしいという話。

 

前に読んだ本で、「縄文後期ににかけて関東・中部の人口が激減したのは、食料となる堅果の生産量がクリやコナラにくらべて圧倒的に少ない、カシやシイの照葉樹林帯が進出してきたからではないか」、という仮説が提示されていたことを思い出しました。

(下記エントリーの中段にある「縄文時代ーコンピュータ考古学による復元」)


 舘野氏の著書のスダジイの項では「コナラ(やシラカシ)のドングリは渋くて食べられたものではない」とあるので、上記の本でなるほどと思ったことが揺らぎ始めました。

 

これは実際に食べてみたり、量を調べたりする必要がありますね。

 

本全体では、常緑高木で10種、落葉高木で10種、中低木で5種、つる植物で1種が取り上げられています。

ご自身の体験や独自の視点がはいってたエッセイ集のようになっていて、読み物として大変面白かったです。

いつも自分は古墳の上で「スダジイか?」なんて言っているので、疑問符をはずせるようになりたいと思います。