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墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

下谷保古墳群(しもやぼこふんぐん)、解体中の国立会館 @東京都国立市谷保

東京都の古墳 細道・路地・小道

前回のつづき。

正面は府中市西府町から歩いたきた道で、国立インターに続く切り通しでこちら側とは分断されている。右の木立は崖線斜面の植生。

左正面の建物の向こうにかつて下谷保6,7号墳があり、進路指示板の左あたりには3号墳があった。

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上記の写真の位置から振り返って小道を右に曲がると、墳丘が残り、説明板も整備された下谷保1号墳がある。周囲を住宅で囲まれているが、石室(埋め戻し済)のある核心部は残った。茶色の家の左奥(道は行き止まり)には8号墳があったが消滅している。

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端正な木が一本、墳丘に育っていた。右に小さく写っている祠はもともと墳丘上にあったもの。(おかげで墳丘が残った)

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墳丘の横には大きな切り株が3つ(写真には2つ) 太い木で根が石室を撹乱するので発掘調査時に伐採された。説明板のあたりから先に石室が埋まっている。

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説明板。内容は下記に転載。

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「下谷保古墳(1号墳)

この古墳は立川段丘上に位置し、ここから南東40mに現存する2号墳などと共に古墳群を形成していたと思われます。

昭和60年秋、測量と発掘調査を行い、その結果、周溝が確認され、周溝縁から東西軸長23m、高さ2mの円墳であることがわかりました(注:墳丘直径は約14m) また主体部の埋葬施設は河原石乱石積みによる横穴式石室で、長さ4m50cm、幅1m80cm、高さ1m60cmでした。

石室は土の圧力により、右側壁と天井が崩落していましたが、奥壁と左側壁はほぼ完全に残っていました。

遺物は、直刀と鉄製の矢じり数本などが出土しております。

以上のことから、この古墳は、古墳時代後期、6世紀末~7世紀初頭の築造と推定されます。 平成20年3月 国立市教育委員会

 

下は調査時の石室の写真。河原石が非常にきれいに積んである。

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墳丘横の祠。現在は墳丘とは隔離されていた。

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墳丘のある区画の隅に置かれたいたのは下谷保9号墳の石室石材だった。見た目はただの河原石だが。手前のものなどは大きく重く、一人では動かせない。

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1号墳の南東40mの場所の2号墳。駐車場の塀の奥。道路から先は私有地なので入れない。

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ぎりぎり近寄ってアップにしたところ。貴重な墳丘だが説明板はない。

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一本戻ってゆるやかな坂を西へ上がっていく。途中、道の真ん中に9号墳のあった場所。

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先へ進んで振り返ったところ。マンホールのあたりがかつての円墳。

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そのまま直進すると、東福寺別院につきあたって切り通しを左折。下の写真はその古くからある切り通しの、甲州街道へ上る方向。

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東福寺別院を回りこんで谷保天満宮へ向かう途中に、古い家屋の解体現場の横を通った。グーグルマップでは「国立会館」とあるが、知る人ぞ知る物件で、芸術家や写真家が集うギャラリーのようになっていたらしい。

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トタンの外壁だが、窓枠がおしゃれだったりする。

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もとの形を調べようと思って、はてなで「お題」になっている「地元発見伝」のGoogleストリートビューを見たら、すでに廃屋のようだが倍の大きさの建物が写っていた。

下がストリートビューの写真。訪ねた時(上の写真)は、白壁の向こうは更地だった。

「歴史を感じる場所」 #地元発見伝
https://www.google.com/maps/preview?q=35.678861%2C139.444465
国立市, 東京都

地元の魅力を発見しよう!特別企画「地元発見伝
http://partner.hatena.ne.jp/jimoto/

 

建物のいわれを検索したら1つだけ、10年前に書かれた記事がヒットした。下記アドレスの3記事目。記事によれば、この建物は戦後進駐軍の宿舎になり、その後進駐軍相手の娼館になったが国立市の文教地区指定後はアパートに改装され、さらにアトリエ・ギャラリーのようになった、らしい。(こんな場所に進駐軍?)

http://www.yaezakidokudami.com/hutuhutu.new.html

アトリエ時代に訪ねてみたかった。

 

一行はさらに谷保天満宮の梅林への入口手前を右に進み、小さな路地へ。

下記の「通り抜け禁止」の看板の先、アパートの下に下谷保10号墳が、その少し東に梅林1号墳横穴墓がかつてあった。

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下記はパンフより。

「下谷保10号墳は、谷保天満宮梅林の東側、立川段丘縁辺部から青柳段丘にかけての傾斜地に立地、平成23年(2011)年の発掘調査で発見されました。石室は切石切組積の横穴式先室で、造成工事によって大きく削平されていますが、おそらくは複室構造と思われます。玄室は長さ2.15m、幅1.35m、高さ1.14mと、多摩川上中流域で確認されている切石切組の古墳石室の中では規模が小さいものです。

梅林1号横穴墓は下谷保10号墳の東に8m程度離れた段丘斜面地から、検出されました。玄室と羨道、墓前域から構成され、全長は4.7m。出土遺物がないため築造時期が判断しにくいのですが、玄室の規模が小さいことから、多摩地域の横穴墓の終末期である 7世紀後半から8世紀前半に造られたものと推測されます」

 

さらに谷保天満宮内の第六天神社へ。下の写真の甲州街道側から見ると平地のようだが、左の小道から見ると地面の膨らみがある。

高さ1.5mほど、南北の長さは約3m、まだ古墳としては登録されていない。

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最後の探訪地、谷保古墳は甲州街道北側の民家の敷地内にあった。くにたち郷土文化館の方が許可を得てくださったお蔭で見学することができた。農機具置き場の先の盛り上がりが古墳だった。

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立派な鳥居があり、丁重に祀られていた

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墳丘へのぼる石段。

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墳丘上には銅屋根の祠があった。周囲は樹木で囲まれていた。

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以下はパンフより。

「谷保古墳

立川段丘崖縁辺に位置します。墳丘は三方を住宅に囲まれ、墳丘上には樹木が茂り、下草も密生しているため、外観からは小山のような印象を受けますが、全体としてみると平面形はほぼ円形を呈しています。墳丘の南側と北西側、東側はそれぞれ裾分が部分的に削平をうけています。南東側は墳丘の中腹に祀られている祠に向かう石段などにより、部分的に変形を受けています。測量調査によると、東西径約16m、南北径約14m、高さ約1.8mの規模です」

 

下谷保古墳群は、この谷保古墳で北東端とされており、1号墳、2号墳を含めて3基の墳丘が残っていることになる。

 

南部線のみならず、甲州街道も墳丘原を通過していた・・・

 

ここでツアー終了。

3時間にわたってずっと解説いただき、質問に丁寧に答えていただいた清水様、および郷土文化館・教育委員会のみなさま、誠にありがとうございました。

貴重なマップや写真の載ったパンフレットとともに、「現場」で丁寧な解説が聞けると、体験がより深く心に刻まれるような気がします。単独墳行ではこうは行きません(そもそも目指す古墳を見つけるのに四苦八苦していますので)

 

拙ブログにまとめさせていただきましたが、目にする機会があれば誤り等、ご指摘いただけたら幸いです(コメント欄、非公開にもできます)

 

充実した「歴史探検旅行」でした。感謝。