墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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国指定史跡 武蔵府中熊野神社古墳(再訪) @東京都府中市西府町

前回のつづき。

西府駅南口の御嶽塚古墳を見たあと、アンダーパスを通って一旦北口に出る。

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栗畑の横の道を通り、マンションの間の歩道を抜けるとすぐに甲州街道に出た。左の建物が武蔵府中神社古墳展示館、右が熊野神社でその奥に巨大な甲羅のような古墳が顔をのぞかせる。

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展示館には、石室内のレプリカを復元した建物も付属する。

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正面に熊野神社。参道は現在の甲州街道とは直交しておらず少し斜めになっている。

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本殿の裏側にドーンと出現した。

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昨年の9月に実家の父母と共に訪れているので、今回が2度目。


 

社殿の反対側(裏側)にも鳥居があった。

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周囲を巡って西側から。古墳と神社拝殿、本殿との位置関係がわかる。石が葺かれていない3段目までを含むと相当大きいことがわかる。

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下記は当日のパンフからの抜粋。

熊野神社古墳 上円下方墳 1段目直径16mの円形、2段目一辺23mの方形、3段目一辺32mの方形。7世紀中頃から後半。全長8.8mの切石切組積横穴式石室を持つ。

墳丘や石室の大きさから、武蔵を代表する首長クラスの墓と考えられている。

 

展示館の正面の窓ガラスは古墳の型をくり抜いたようになっている。入館無料。

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展示館2階の床には、府中市全体の大きな航空写真が貼ってあり、古墳群の位置が示されている。水色の線は東山道、右の黄色が武蔵国衙跡。

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下の図では、多摩川沿いの立川段丘に沿って、古墳群が点々と続いている様子がよくわかった。

当日ツアーの解説者・国立市教育委員会の清水氏から、武蔵府中国衙の近辺には墓域がないことや、墳丘のある古墳群が造られた後に横穴墓が作られる際に墳丘エリアを避けてその周囲に掘られていることから、「墳丘のある墓域が神聖なものと認識されていたのでは」との説が示されたが、それがとてもよく納得できた。

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上記パネルの説明文の部分を転記。

「周辺の古墳と古代の遺跡

府中市が位置する多摩川の中上流域には、6世紀代に築かれた群集墳と呼ばれる古墳密集地域が分布しています。武蔵府中熊野神社古墳の南方の府中崖線沿いにも、6世紀前半から7世紀前半に造られた御嶽塚古墳群と高倉古墳群があります。これらは円墳で、河原石を積み重ねて造った石室を持つものもあります。

当古墳と同じ時代に造られ、石室の形がよく似た古墳は、八王子市の北大谷古墳と三鷹市の天文台構内古墳があります。どちらも多摩地域にいた有力者の墓と考えられます。東方2km程のところには、当古墳が築かれて間もなく敷設された東山道武蔵路や奈良時代(8世紀)の初めに設置された武蔵国の国府と中頃に創建された武蔵国分寺を中心とする遺跡があります」

 

展示室では、石室切石や葺石、さらに貼石(1段目の丸い部分に貼っていた石)の実物があった。

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墳丘の形の説明。上円下方墳は、他に清水柳北1号墳(沼津市)、石のカラト古墳(奈良・京都県境)、野地久保古墳(白河市)の3例しか確認されていない。

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その後、ヘルメットをかぶってレプリカの石室にはいった。

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ひと通り見学して、もと来た道を西府駅の南側まで戻り、崖線に沿ってツアーを続けた。

 

※最初の探訪時の記事はこちら

つづく。