墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

琵琶湖古墳クルーズ 湖上編(前編)

前回のつづき。

石山寺駅から浜大津駅までは京阪電車で20分ほど。電車はここから路面走行区間になる。左が京都、右が坂本方面。

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浜大津駅からデッキを歩いた目の前に大津港のターミナルがあった。予約していた「琵琶湖古墳クルーズ」のチケットを買って列に並ぶ。

10時から16時半までの琵琶湖一周、お昼の豪華お弁当付きで4500円。

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「megumi」と書かれた中型の船へ。

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 開放的な船内。窓が大きく採られてる。一人参加でも1テーブルのゆったりした人数(20人ほど)だった。学芸員の方2名が同乗し、実測図や出土物等をモニター表示しながらの解説があった。

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2階のデッキ。天候に恵まれた。

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配布された資料。折りたたむとA5版。「近江を代表する古墳60ヶ所を紹介」とあった(滋賀県全体の古墳の数は4000基以上とあった)

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広げるとA2・新聞大。

琵琶湖周辺の地図に60まで番号が振ってあり、前方後円墳・前方後方墳は主軸の向きまでわかる。

地図の裏には60すべての古墳の解説もある。貴重な資料。

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出航地は左下の大津。クルーズのルートは一旦南下したあとに湖を時計回りの方向に廻る。

 

琵琶湖のサイズ等は以下Wikipedia等から。

琵琶湖の面積は670km2 。東京23区621km2 より大きく、山手線内63km2 の約11倍。

日本の湖の面積第2位の霞ヶ浦220km2 の約3倍で、東京湾内湾(観音崎ー富津岬以北)922km2 の7割強。

琵琶湖大橋で南北に分けられ、北湖は面積623km2 平均水深41m、南湖面積58km2 平均水深4m。

周囲の長さは241kmになり、直線距離では大津から琵琶湖大橋まで14km弱、琵琶湖大橋から最北端の塩津まで50km弱になる。水面の標高は84.3m。

流入河川119本に対し、流出は瀬田川(淀川)1本のみ。

 

古代には、都から近い淡水の海として近淡海(ちかつあわうみ、単に淡海とも)と呼ばれ、対して都から遠い浜名湖が遠淡海(とおつあわうみ)と呼ばれて、それぞれが近江(おうみ)と遠江(とおとうみ)の語源になったそうだ。

・・・初めて知りました。

 

わくわくしながら出航。おとなりは外輪船ミシガンでこちらは大きい。

琵琶湖汽船公式ホームページ|ミシガンビアンカ-滋賀県

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最初に向かったのは、なんと朝に行った茶臼山古墳。地図の番号2番。

潮位によってはくぐれないという近江大橋を抜けて琵琶湖最南部へ。正面のふたコブの丘に古墳がある。

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ズームしたらよくわかった。団地の向こうの右の丘が茶臼山古墳、左が小茶臼山古墳。はっきり認識できた。

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一度登った山を再び遠望するときと同じような感動があった。

かつては葺き石で白く輝き、周囲からも目立っていたはず。

 

 手前の団地は墳丘側からも見えていた。

【再掲載】

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琵琶湖古墳クルーズ2014 往路 - 墳丘からの眺め

 

以下、『』内は古墳パンフの解説

『膳所茶臼山古墳 大津市秋葉台ほか 前方後円墳 122m 前期 史跡

琵琶湖を見下ろす大型前方後円墳。葺石は確認できるが、埴輪は一部で確認されているのみ。佐紀陵山古墳(日葉酢媛陵古墳)との関係も想定され、畿内から北・東への門戸を支配する』

 

ツアーの続き。

水辺には膳所(ぜぜ)城跡もあった。

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城は徳川家康が関が原の戦いの翌年1601年に築いた。ちなみに膳所の地名は、平安時代、このあたりが魚介類を朝廷の食膳に納める所とされたことに由来するそうだ。

膳所六万石|テーマ展示|常設展示室|大津市歴史博物館

 

下の写真、おそらく右手前の丘の上に古墳。後ろは比叡山。

『兜稲荷古墳 大津市神出開町 前方後円墳 90m 前・中期

逢坂山の山頂部、琵琶湖を見下ろす絶景の位置に築造。葺石は持たず、埴輪も未確認。広い後円部頂の平坦面が特徴的だが、年代等、不明な点が多い』

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琵琶湖大橋が見えてきた。左が堅田、右が守山の町。

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ディンギーが沢山出ていた。写真は進行方向で左の山は比良山地。

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琵琶湖大橋をくぐって西岸の古墳地帯。

下は正面の芝生が貼ってある丘が古墳。おそらく和邇大塚山古墳。

『和邇大塚山古墳 大津市真野普門町 前方後円墳 72m 前期

琵琶湖の狭隘部を眼下にする曼荼羅山の山頂に築造。葺石は存在するが埴輪は未確認。粘土槨と考えられる主体部から、盤龍鏡、勾玉、鉄器などが出土』

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こちらの湖西線沿いの棚田の中にも古墳群があるとのことだが、名称を忘れてしまいました。

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静かな湖面。波は航跡だけ。

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西岸をズームすると、壷笠山古墳のある「壷笠山」が認識できる。湖上の左の水上バイクの上に鳥が飛んでいるが、そのすぐ右下、奥のピョコンがそう。琵琶湖を西岸沿いに南下する舟の目印だったはず、との解説があった。

(壷笠山古墳の前を通過したときの写真は撮り損ねました)

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最初の地図の11番、白髭神社に着く。北湖の中間点ぐらい。

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神社は琵琶湖を向いているだけでなく、湖の中に鳥居が立つ。

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鳥居のすぐ上の、木が立ち枯れている辺りに古墳がある。

 

『白髭神社古墳 高島市鵜川 後期

琵琶湖中に建つ鳥居で有名な白髭神社。その背後の丘陵に古墳群が存在。横穴式石室を持つ後期古墳で、その内一つが開口。琵琶湖に生きた人々の墓制で、白髭信仰との関わりでも注目。f:id:massneko:20141019112119j:plain

 

上記の写真をとったときの背面。本殿と鳥居を結ぶ直線を延長すると沖島を通って伊勢神宮に向かう。

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上記の写真の沖島の左側のズーム。

写真右端が沖島、その左が伊崎寺のある山で、さらにその左、画面中央の下に低くうっすら見えるのが安土山。標高200m程度の丘に地上6層の安土城天守が聳え、周囲を圧倒していた。

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白髭神社の近くにある打下古墳(うちおろしこふん)

『打下古墳 高島市勝野 中期

琵琶湖に突出する明神崎の頂部に築造。墳丘の有無、規模など不明な点も多いが、箱式石棺から人骨とともに、鉄製大刀や鏃などが出土し、琵琶湖を支配する武人の姿が復元された』

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上の写真のズームアップ。芝生のところが古墳。まさに湖から見られることを意識した場所。

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上記を過ぎると鴨川と安曇川がつくった広い平野部になる。この先に鴨稲荷山古墳、田中古墳群、熊野本古墳群があるはず。

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さらに北へ。近江今津の沖。中央から右に広がる丘陵に平ヶ崎王塚古墳群がある。

『平ヶ崎王塚古墳群 高島市今津町日置前 中~後期 一部県史跡

酒波川の形成する扇状地に位置する。中期と考えられる王塚古墳(円墳56m)を中心に10基程度の小型古墳が伴う。付近には妙見山古墳群も位置する。王塚古墳からは、琵琶湖に浮かぶ竹生島と伊吹山が真東に位置する』

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この正面の方向の直線20km先は、5万年の年縞堆積物で著名になった福井県の三方五湖、そして日本海になる。

つづく。