前回のつづき。
市原埋文センターに山倉1号墳の発掘調査時の写真があった。
場所は山倉ダムのすぐ西側、国道297号・大多喜街道沿い。
昭和49年当時までは道路にもぎりぎりかからずに残っていたが、調査後に削平され、今は住宅が立ち並んでいて跡形もない。
この古墳群のすぐ北隣に「西広貝塚」があり、ここも住宅地になっているが、住宅地の中に残った「前廣(さきひろ)神社」の境内が、かつての地形を残しているということを聞き、行ってみた。
南西向きの斜面に建つ。社殿の裏からはいる形になったので、まず参拝。
社殿右手に鳥居のある塚があり、石碑には「小御嶽神社」とあった。
墳丘のようにも見えるが、山倉古墳群より少し北に位置する。
社殿の正面は、急な石段になる。
途中の開けた場所からは、台地下が見渡せた。山倉古墳群はこの位置より10~20mくらい髙いはず。
社殿側を振り返ったところ。一直線の石の道がきれい。
さらにまっすぐ進むと、再び石段があった。ここだけ道が荒れていた。
台地下の鳥居に出た。
細長いが、台地の下から上に長く続く参道が印象的な境内でした。
社殿の後ろ側や参道の左右が森だった頃は、かなり荘厳な雰囲気だったのではと思います。
お参りの際には背面からではなく、正面から上るべきと反省しました・・・