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墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

いちはら埋文講座 「古墳築造プロジェクトをさぐる ~山倉1号墳~」 市原市埋蔵文化財調査センター

10月11日(土)、先月にひき続いて市原へ、古墳講座を聴きに行った。

今回は、埋文センターの近くの山倉1号墳(現在は消滅)から出土した埴輪や石材の研究から、古墳の造られ方とその背景を読み解く、大変興味深いテーマだった。

 

はじめに古墳時代全般の解説から入って、地元市原の話へ。

市原には約1700基の古墳があるが、時代ごとの主な築造エリアは、3世紀は国分寺台地区に、3~4世紀は姉崎地区や菊間地区の台地上の縁に、5世紀には村田川左岸や養老川左岸の沖積低地に、そして6世紀に再び国分寺台などの台地上に、という変遷が見られる。

 

山倉1号墳は6世紀末頃の前方後円墳(47m)で調査前に盗掘を受けていたが、特徴のある人物埴輪や円筒埴輪が出土している。その人物埴輪は埼玉県鴻巣市の生出塚埴輪窯(おいねづか)のものとソックリと前から言われてきたが、三辻利一氏による蛍光X線分析で埴輪素材の土も「同じもの」という結果が出て(平成5年)、さらに、この日の発表者である市原市埋蔵文化財調査センターの小橋健司氏の調査で円筒埴輪の「ハケメ」が同じ道具(木片)が使われていることがわかり、千葉県市原市の山倉1号墳の埴輪が、埼玉県鴻巣市で作られて、はるばる(直線距離80kn)運ばれてきたことが裏付けされた。

(山倉1号墳の円筒埴輪を分析すると、作風のクセで17類型に、ハケメで13類型にまとめられ、さらには特定の作成者が多くの割合を手がけていることまでわかるそうだ)

 

そこから導かれることは、古墳時代後期後半に、広い範囲での古墳の「パーツ」や形が流通していること。他の例の紹介もあった。

鴻巣市の生出塚の近くには埼玉古墳群があり、その中の将軍塚古墳の石室には千葉の鋸山近辺で産出する磯岩(房州岩)が使われている。

葛飾区の柴又八幡神社古墳でも磯岩が使われているが、埴輪は下総型。

市川市法皇古墳も磯岩の石室だが、円筒埴輪が下総型で、形象埴輪は生出塚産。

 

関西や群馬の古墳との墳形の比較もあり、コンパスを用いた平面図による説明、異なる2つの前方後円墳の右半分と左半分を合わせた比較手法は説得力があった。

 

古墳構築材が広域で流通する背景については、ヤマトで大古墳が築造されるときに、地方から中央へ職能集団が集められ、古墳築造プロジェクトに参画し、技能を高めて再び地方へ戻ったことで、地方における職能集団も場所によっては高度化し、地域ごとの特色も出たと理解しました。(勝手な解釈が入っているかもしれませんが)

 

この日も100人くらいの方々が熱心に聴講されていましたが、部屋の後ろに実物の埴輪(山倉1号墳、市指定文化財)が置かれていて感動でした。

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特徴的な「タレ目」

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右手の表現は「オリジナル」で指もある。

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普段は見られない角度。顎のラインもくっきり。

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足の部分。紐の結び目はどこもハート形(こんな形のパイのお菓子があったような)

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石室石材(磯岩)も「置いて」あった。ボコボコの穴は貝が空けたものだそう。

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常設展示(ガラスケースの中)の、山倉1号墳の筒袖人物埴輪。

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円筒埴輪。表面のたて筋が「ハケメ」

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最後に。

午前10時から12時10分まで、10分ほどの休みを挟んでの2時間、とても充実した時間を過ごせました。

当方の認識の誤り聞き違いもあると思いますので、このブログを見る機会がありましたら、どうそご指摘ください。(コメント欄、非公開にもできます)

説明いただいた小橋様、準備いただいた埋文センターのみなさま、誠にありがとうございました。