墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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蛇穴山古墳 群馬県前橋市総社町

今回の最後の訪問地。

宝塔山古墳の墳丘上から見た蛇穴山(じゃけつさん)古墳(写真中央)

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総社公民館・図書館の駐車場の一部のようになっている。

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左が蛇穴山古墳、中央右奥が宝塔山古墳、右が総社公民館・図書館。なんとここに総社資料館代替施設があることを後から知った。

群馬県前橋市|総社資料館代替施設

車で行く場合は、ここに停めるのが便利。

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墳丘上。柵があるのが石室入口側。

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公民館側には何の案内もないので、知らない人には見過ごされてしまうのでは・・・

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柵の下には堂々たる入口があった。

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しっかりした石段がついている。

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説明板もあった。

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(国指定)史跡 蛇穴山古墳 方墳 1辺40m 8世紀初頭

一辺の長さ約40mの方墳である。埋葬主体部は横穴式石室であるが、羨道を欠き、玄門と玄室とからなる特殊な形をとっている。玄門の前には、羨道の痕跡ともみられる構造とハの字形にひらく前庭がある。石室は天井、奥壁、左右壁ともにみごとに加工した各1枚の巨岩で構成されている。天井石、奥壁などの縁はL字形に切り込んで壁の石と組み合わせている。精巧な細工をほどこした玄門とともに、当時の石材加工技術の優秀さを物語っている。石室の規模は玄室長(西)3m、同幅2.6m、同高さ1.8mである。

隣接する宝塔山古墳とともに、県内古墳の最終末期に造られたもので、8世紀初頭の頃に位置づけられよう。

 

前橋市教育委員会による墳丘の推定復元図も。 

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ハの字形に開く。

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 精巧な石組み。アプローチ(羨道)がなく、いきなり玄室になる。

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巨大な一枚岩を組み合わせている。

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隅の直線がピシッと決まっていて実に見事。動力機械のない時代にどうやったのか。

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巨大な一枚岩。切り出すのも、運ぶのも、仕上げるのも、組み上げるのもすべて技術。

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雨宿りに最適。先客がいないか心配したが誰も、動物も、虫さえもいなかった。

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そろそろ帰りの時間が迫ってきた。ここに来たときは適当に歩いてきたので、公民館の方に正しい道を聞いたら、ちょっと間があって広い道を案内されたが、結局もと来た道を帰った。

あとで地図を見たら、道が曲がりくねっていて説明しにくいことがよくわかった。

雨がますます激しくなってきたが、風がないのが幸いだった。

下を向くコスモス

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群馬総社駅ホーム。「中之条、渋川方面」と「横断注意」の手書き文字。

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高崎行きは、懐かしさを感じる車両だった。

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高崎からは新幹線を使ってしまった。

群馬編終了。