墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

愛宕山古墳 群馬県前橋市総社町

前回のつづき。

本日のメイン、宝塔山古墳を目指して歩いていると、学校(前橋市立第6中学校)の横に「総社古墳群 見学者用駐車場」とあった。

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 後ろの盛り上がりを気にしながら道なりに進むと「愛宕山古墳」の標柱があった。

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 お墓以外はなさそうと思いながら一応小道を進んでいくと

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石室入口が顔を出した。(雨粒も写った)

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説明板もある。

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愛宕山古墳 方墳 一辺56m 高さ8.5m 7世紀第2四半期

この古墳は従来円墳とされていたが、測量と発掘調査の結果、方墳であることが確定した。一辺56m、高さ8.5mの二段築成で、周堀は約18m余である。主体部の両袖型横穴石室は、現状で玄室の長さ6.91m、玄室奥幅2.94m、玄室の高さ2.91mの規模である。
石室の石材は輝石安山岩で加工がほどこされている。隙間には浮石質角閃石安山岩を適宜に加工して詰めている。玄室の奥壁寄り中央に主軸と直行する形で凝灰岩製の刳抜式家型石棺が安置されている。
築造の時期は7世紀第二4半期とされ、首長墳の墳丘が方墳に変わる時期、大和政権との関わりにより社会変化をとらえる意味で貴重な古墳である。
平成10年8月吉日 総社地区史跡愛存会

 

入口の高さは6,70cmくらいで、入れないことはなさそうだったが、泥がつくのは必至なので日和ってしまい、入口からの写真のみ。奥に見えるのは石棺。

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昇寛さんは、しっかり入室。

前橋市愛宕山古墳(総社) » 埼群古墳館

 

古墳とかアレ(仮)」の額田大玉さんのレポートも詳しい。

愛宕山古墳

 

今回の古墳とは別ですが、額田大玉さんは、なんと古墳の「空撮」を開始されました。素晴らしい!

 

愛宕山古墳のすぐ横には、細いが深い川が流れていた(正面が愛宕山古墳、左が前橋6中)

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水面から橋までは5,6mはある。

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説明板もあった。

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天狗岩用水

総社領主秋元長朝候(1546-1628)が、総社城の外堀と灌漑用水を兼ねて開削した用水である。1602年に工事に取りかかり、1604年までの3年間、領民の年貢を免除し、共に協力して完成させた。植野堰(うえのせき)といわれた。

伝えるところによると、取入口の巨岩を取り除くにあたり、天狗の化身の老人が現れて除くことを教えた(天狗来助)ということから、天狗岩用水と呼ぶようになったという。

利根川からの取入口は、吉岡町漆原瀬来附近だったが、現在は坂東橋ぎわの左岸から広瀬・桃木堰とともに取り入れ、利根川地下を通してあげている。この用水は1610年以降、代官伊奈備前守忠次等によって、前橋・高崎・玉村まで延長され、600haの水田が灌漑された。下流は滝川・代官橋ともよばれ、烏川に流れこんでいる。

平成21年3月吉日 総社地区史跡愛存会

 

愛宕山古墳の説明板より11年新しい。総社地区史跡愛存会のお蔭で地元の歴史がよくわかる。

ここから、お寺の屋根と緑の盛り上がりが見えたので、そちらに向かって進んだ。

つづく。