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墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

慶良間(キラマ)チージ (シュガーローフ) 沖縄県那覇市おもろまち(那覇新都心)

沖縄県の遺跡、戦跡、博物館

【再掲載の写真】

おもろまちの大きなショッピングセンターの前、目抜き通りの交差点。

右手の大きなビル・那覇新都心センタービルの左手の写真中央に、上部が波打った建造物が半分顔を出している。

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近づいて行くと丘の上の「水道用タンク」全体が見えてくる。

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上が「シュガーローフの丘」の現在の姿。

写真を撮った位置は、下記の写真の位置より丘に近い場所と思われる。

 

下記が1945年のシュガーローフ。

「沖縄シュガーローフの戦い」光人社2007年発行 177頁より

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かつて長さ100mくらいあったが削られ、タンクが乗る部分のみが残された(それでも保存運動の結果残ったのだそうだ)

崖の手前には、お弁当屋さんが並んでいる。

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道路に面して登り口があったが、案内板にようなものはなかった。

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階段の途中から、西方向の眺め。

この丘を含めてあたり一帯は、1980年代前半まで米軍居住エリアだった。

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現在の丘の上には展望台もあったが「棲み家」にしている人がゴミにまみれて寝ており、近づけなかった。

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階段の途中からの眺め。左の那覇新都心センタービルは、2011年8月竣工。

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おそらく下記の写真と同じくらいの位置からの眺めだと思います。

 

「沖縄シュガーローフの戦い」光人社2007年発行 182頁より

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階段の下に説明板がある。これだけが、現地で当時を偲ぶよすがになっている。あまりにもシンプル。この周辺で日米の数千人が亡くなった。

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下記は説明版より。

 慶良間チージ(シュガーローフ)

沖縄戦の激戦地。字安里(あさと)の北に位置する丘陵地帯に築かれた日本軍の陣地の一つ。日本軍は ”すりばち丘”、米軍は "シュガーローフ” と呼んだ。一帯の丘陵地は日本軍の首里防衛の西の要衝で、米第6海兵師団と激しい攻防戦が展開された。

とくにここ慶良間チージの攻防は、1945年5月12日から1週間に及び、1日のうち4度も頂上の争奪戦がくりかえわれるという激戦の末、18日に至り米軍が制圧した。

米軍は死傷者2,662人と1,289人の極度の精神疲労者を出し、日本軍も学徒隊・住民を含め多数の死傷者を出した。

それ以後、米軍は首里への攻勢を強め、5月27日、首里の第32軍司令部は南部へ撤退した。沖縄戦は、首里攻防戦で事実上決着していたが多くの住民をまきこんだ南部戦線の悲劇は6月末まで続いた。

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Sugar Loaf (locally, Kiramachiiji)

On this site occurred some of the bitterest action in the Battle of Okinawa. The Japanese had fortified their defense on the northern hill of Asato. The Japanese soldiers called the outcrop suribachi, or "cone hill". The battle raged between elements of the Japanese 32nd Army and forces of the 6th Marine Division. Beginning on May 12, the fighting ot Sugar Loaf lasted for a week including one day with four charges on the peak. The Americans prevailed on May 18, with 2,662 casualities, and another 1,289 suffered battle fatigue. The Japanese forces, students and civilians, also suffered devastating casualities.

On May 27, the Command Post at Shuri was withdrawn to the sothern end of the island. Although the battle for Okinawa was effectively over, the tragedy ot the civilians caught in the southern battles was prolonged until the end of June.

 

通りをはさんだ向こう側には、DFS(デューティー・フリー)の真新しい建物。最上階のレストランがよく見えた。

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背面は水道タンク。周囲に道がついていた。

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タンクを 回り込んだ東南側の眺め。日本軍が守ろうとした方向。

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途中に階段がある。左下は丘の上に続く車道。

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階段をのぼると、小さな椅子が2つ並んでいた。

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案内板以外、激戦の痕跡はどこにもない、平和な風景だった。合掌。

 

丘の斜面には、きれいな黄色い花が数多く咲いていた。

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丘の上の小道沿いにも。

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※なお、下記の水ノ江拓治氏のHPにはシュガーローフ(日本軍名:安里52高地)の戦闘、および沖縄戦史全体が詳細に記されている。ビルが建つ前のおもろまちの写真もある。(参考にさせていただきました)

http://www.okinawa-senshi.com/sugarloaf-n.htm