墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

大堤権現塚古墳 千葉県山武市

9月21日、日曜日は朝からよく晴れた。上の子は文化祭出し物の練習、妻と下の子は学園祭のはしご、ということで単独墳行。

行き先は芝山はにわ博物館。先月に大英博物館で「ひげの男(茨城県出土との記載)」を見たら、芝山で見た埴輪とそっくりだったので、もう一度実物を見たいと思って決めた。

 

芝山の博物館に行く前に、付近の古墳をいくつか回った。

 

まずは大堤権現塚(おおつつみごんげんづか)古墳へ。

ここは昨年5月、芝山古墳群を訪れた際にも立ち寄ったが、ブログには記載していなかった(古墳への興味が芽生えたころ・・・)

 

千葉東金道路から圏央道を銚子方向に向かい松尾横芝ICで降りて右折、海岸方向に直進。国道126号とぶつかったら右折し、松尾高校をすぎて「大堤」の信号をななめ右にはいる。(電車であれば総武本線「松尾駅」から徒歩1.5kmくらい)

信号をはいって少し行くと左側に案内板がある。車の場合、このあたりで停めるところを探す必要がある。

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矢印の方は下の写真のように民家の入口のようになっている。

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軽自動車1台の幅の道を上がっていく。ところどころ落ち葉が集められていて、しばらく車が通った様子がない。

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少し進むと、右手に階段がある。

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大堤権現塚古墳と刻まれた石碑がある。わかりやすい。

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下記に一部を転載。

千葉県指定史跡 大堤権現塚古墳

所在地 大堤479番地  指定年月 平成2年3月16日

大堤権現塚古墳は 古墳時代に(今から約1500年前)築造されたもので現在松尾地域に確認されている128基の古墳の1つです。この古墳は、外ぼり、外堤を含めて長さ155m、横幅100mを測る山武地方最大の規模を誇る前方後円墳であることから、考古学上、この地方を統治した首長の墳墓であろうといわれています。

昭和31年(1956年)発掘調査の結果、石棺内から多数の副葬品が発見されました。墳丘の前方に位置する箱根神社の祭神は彦火火出見尊で、往古日本尊御東征の折この地に物見を築き、これを目標として航海の便を図ったことから、ここに一社を創建したと伝えられています。宗教法人令による以前、明治10年(1877年)村社に列せられ、同41年幣帛供進指定神社に昇格。

年中祭事・・・ 以下省略。

 

その先、石段を上っていくとすぐに鳥居が見えてくる。

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石碑にあった箱根神社。社殿は結構新しかった。

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上記の社殿が、古墳の前方部の下端に位置している。時計回りに周ってみる。右端に光っているのが社殿。細い杉があちらこちらに「林立」している。

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その名のとおり、大きな堤が古墳の周りを巡っている。幅も高さも結構ある。

右下は、さきほどの石段から左に分岐した道になる。

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堤の上に道側を向いて、詳しい説明板があった。

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千葉県指定史跡 大堤権現塚古墳

山武市松尾町大字宮南 平成2年3月16日指定

大堤権現塚古墳が所在する築には本古墳以外に前方後円墳1基、円墳7基(調査後2基消滅)で合計9基の古墳で群を構成し大堤古墳群として周知されています。本古墳は山武郡域では最大級の前方後円墳です。立地は太平洋に注ぐ木戸川流域の左岸台地上、九十九里平野と境を接する位置に古墳は占地しています。

古墳の大きさは、墳丘長115m、後円部径55~60mで高さ12m、前方部最大幅53m、高さ10m、括れ部の幅45~47m、を測り、前方部に比して後円部径が大きい形状を呈することや、前方部の向きが南方向に向いていることが特徴とされます。本古墳の調査は過去に3回行われました。昭和31年に埋葬部を中心とした調査によって、前室・奥室の複室構造ををもち、長さ9m程のものと判明しました。さらに、奥室の北側壁に接して石棺を設けた特異な横穴式石室です。副葬品には頭椎大刀(かぶつちたち)、圭頭大刀をはじめ翡翠製勾玉、水晶製勾玉、ガラス玉、小玉など多数の玉類が出土しました。平成3年~4年にかけて2回の古墳の範囲確認調査が実施され、周溝が墳丘の周りを3重にめぐることが判明しました。千葉県内で初めての発見となり注目されています。この3重の周溝を含めた総全長は174mを測り、県内においては有数な前方後円墳です。

平成19年3月1日 千葉県教育委員会 山武市教育委員会

 

後円部横の周堤と周溝。きれいなカーブを描いていた。

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後円部の北側堤の上から「スイング撮影」

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なお、当古墳は「房総の古墳を歩く」にも紹介されている。

房総の古墳を歩く/松尾町・横芝町の古墳

データ部分を転載。案内板とかぶるが、こちらには築造時期も書かれている。

大堤権現塚古墳 前方後円墳 7世紀初頭◆所在地 松尾町大堤字宮前◆全長115m◆方位 N-157°-W◆前方部幅53m 高さ10m◆後円部径60m 高さ12m◆周溝三重盾形◆埋葬施設 複室の横穴式石室(奥室に作りつけ石棺)奥室長2.1m 幅3.5m 前室長3.1m 幅1.5m 羨道残存長 2m 幅1.5m 石材 砂質粘板岩(軟砂岩)石棺 長さ2.2m 幅0.6~0.8m 深さ0.7m◆出土品 頭椎太刀1、圭頭太刀1、鉄鏃、金銅製鞘付刀子、金銅製耳環5、勾玉5、管玉1、水晶切子玉3、ガラス玉多数◆備考 1956年日本大学、1989年県測量調査、1991年山武郡市文化財センター周溝確認調査

 

そのまま回り込んでいく。

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後円部を見ると崩れた後があった。石室の石が露出しているようだった(緑の苔が生えているところ)

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後円部上から見た崩壊部分。

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括れ部のあたり。後円部側から。

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 後円部上から前方部方向。

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前方部の端。社殿の屋根が見える。

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 前方部上から後円部方向。

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前方部の右下から周溝に降りていった。

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周溝に杉の木が密生していた。

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神社正面に帰り、もと来た道を戻った。

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墳丘長115m、周溝含めた全長174mは大きい。いちはら埋文講座での「千葉の前方後円墳」に登場しなかったのは、7世紀初頭という古墳時代終末期にあたるからだろう。

隠れた大古墳というところか。

 

あたり一帯が杉林だが、下草が刈り取られて墳丘にも上がれる状態なので、その大きさをじっくり堪能することができた。

(墳丘上や周囲の木々がなかったら、きっと九十九里浜と太平洋が望めるのでしょうが)

が、このような現状でも、林の中で巨大生物が眠っているようなオーラを感じることができると思います。

 

見学の際はクモの巣に要注意です。木と木の間には大きなクモの巣が沢山ありました。藪蚊が少なかったのはそのせいかも(一ヶ所刺されましたが)

クモの巣には3回ぐらいひっかかったので(ちょっとパニックになりかけた)、棒があると便利。

後円部の北に学校がありましたがグランドの裏にあたり、ひと気がないので、お仲間といかれた方がよいところです。