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墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

3万年前の「資源地図」が、千葉ニュータウンで出土した!?

講演会 千葉県の寺社、遺跡

見出しに初めて動詞を(主語と述語を)いれました。

前回のつづき、9/6の白井市文化会館にての講演会「千葉ニュータウンの昔むかし」の最初の研究報告、千葉県教育振興財団の山岡磨由子氏による「遺跡の中の石材産地」、3万年前の日常を想像する話を紹介します。

千葉ニュータウンの発掘調査における旧石器時代出土物の話です。

 

700万年前に人類の祖先が誕生してから、猿人、原人、旧人、新人と変遷し、新人が日本列島に到達したのが約4万年前。そこから、縄文時代との境目になる1万5千年前との間が後期旧石器時代。

相澤忠洋氏による岩宿遺跡発見までは「なかった」とされていた旧石器時代の遺跡は、その後1万ヶ所以上(!)確認されたが、このうち約1000ヶ所は千葉県で発掘されている(それだけ千葉の開発範囲は広かったということだが)

2位の北海道(700ヶ所)、3位の東京(650ヶ所)、4位の長野(644ヶ所)を引き離している(日本旧石器学会編2010年)

千葉ニュータウン地域の旧石器時代遺跡は39ヶ所になるが、出土した石器の数は、白井市の「復」にある復山谷(ふくさんや)遺跡からは6080点、印西市の角田台(つのだだい)遺跡からは6400点、泉北側第3遺跡からは1400点近くにのぼる。

 

これらの遺跡の中には、数多くの石器が直径20~60m程度のドーナツ状の範囲に分布する「環状ブロック群」がある。

ドーナツ状となった理由は研究者の間でも分かれており、「大型獣を解体する場」「道具づくりをする場」など様々なのだそうだが、講演者の山岡氏が提示した「遠方から来た人々が情報交換をする場」が存在したという仮説及びその根拠が大変興味深かった。

泉北側第3遺跡の、環状に分布する何百という石の素材の産地と出土位置との関係を調べると、黒曜石を中央部に置きながら、群馬方面からの黒色安山岩は北西に、茨城県山方町からの玉髄・メノウは北東部に、房総半島からの嶺岡産珪質頁岩は南西に多く分布していた。

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講演要旨の結びの部分にワクワクしたのでそのまま下記に抜き出す。

「遺跡に集った旧石器時代の人たちは、各々が携えてきた石を並べることで、その来歴を示したのではないだろうか。環状にめぐった石の輪の内側に立って周囲を見回した時、個々のブロックの遥か彼方に見えるものは、各々が持ち寄った石材の産地ではないか、と思い至る。泉北側第3遺跡の地面に置かれた石は石材のありかを示す世界最古の『地図』であったのかもしれない。」!!!

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土器の破片をくっつけて元の形を再現する作業も大変だが、石器の破片を「接合」させて、「もとの由来の石」を「割り出す(言葉とは逆の思考作業ですが)」ことは、ちょっと想像しただけでも気が遠くなります。

実際、角田台遺跡では500m離れた2つのブロック間で、複数の石器が接合したことをつきとめたそうで、その執念に感動しました。